僕が中高時代に通った唯一の塾と、物理学との出会い
前の記事で、僕が大学時代にしていた塾講師の話を書きました。
その時は、僕の教えていた生徒たちの中で、主に小学生の生徒たちについて書きました。
彼ら彼女らは、もし僕が彼らと同じくらいの年頃だったら、とてもじゃないけれど背負いきれないだろうなぁと思うほど、多くのものをその小さな背中に背負っているような気がします。うん。
僕はそんな小学生の生徒たちも見ていましたが、中学生、そして高校生は大体は高校1年生くらいまでを、塾で教えていました。
今回は、なんとなくですが、そういった話を書きたくなったので書いてみます。
僕が中高時代に入った唯一の塾
そもそもなんで僕がこの塾で教えるようになったのか、という話をすると、それは単純に僕がその塾の出身だったから、という理由です。
もともと塾長は、高校受験のプロとして、何十年も塾をやっていた。
その中で、新しく都心に、数学専門の先取り学習をメインとする塾をオープンするということで、僕の通っていた学校からでも通いやすい街に塾を作りました。
僕の同級生の何人かが通っていたことがきっかけで、もともと数学が好きだった僕も、この塾だったら行ってみようかなと思い立って、遊びに行ってみたことが始まりです。
ちなみに、僕の世代がその塾では一期生の世代でした。まあ、僕が入ったのは塾ができてからしばらく経ってからでしたが。
もともと僕は、塾やら何やらに通うことがすごく苦手というか、嫌いなたちでした。
幼少期から公文式はずっとやっていたのですが、あれはどちらかというと教室で習うというよりも、自分自身で(家で)勝手に勉強して進める、という要素が大きいものだったので、あれだけ長く続けることができたんだと思っています。
小学6年のときには、中学受験の塾のようなものにもしばしの間通いましたが、ぶっちゃけ通っても通わなくてもどっちでもよかった。
親はそれで安心するし、まあ友達もいるし、いいかな、というくらいに思っていて、友達と遊びに行っていたようなものです。笑
今となってはごめんなさいと思うのですが、まあそんなものです。勉強は自分でできていたし、そもそも僕は学校や塾のように、教室の中で席に座って一斉授業を聞くという時間が、苦痛以外の何物でもなかったので。
おそらく僕は、塾とか予備校とか、学校でさえ合わないんだろうなぁと思っていました。
実際、僕は中学・高校の間も、塾も予備校も一切通っていません。この、数学専門の個人塾を除いては。
大学受験の勉強も、全部自分で終わっていたので、予備校は模擬試験を受ける場所くらいにしか思っていませんでした。
話を戻して、じゃあなんで僕がこの塾に通おうと思ったのかというと、まず一つは、少人数クラスかつ自由な授業で、あの暑苦しい一斉授業スタイルではなかったこと。
二つ目に、当時仲の良かった友人(めちゃくちゃ数学ができた)が通っていたこと。
そして何よりも塾長が、生徒自身が、すごく楽しそうに勉強をしていた環境だったから。
という理由です。
ともかく僕の中学・高校の勉強の中で、あの塾に通って勉強していた時間というのは、ものすごく楽しかったんです。勉強って、こんなに楽しいんだ!と、改めてというか、初めて気付かされたんですね。
そこから数学の虜にますます取り憑かれ、どんどん進んで学んでいきました。
どのくらいかというと、中学卒業の時点で、大学入試のセンター試験レベルは終わっていて、ほとんど満点が取れる、というくらいにはなっていた。
当時はその先取り学習の威力もすごさもわからず、周りもみんなそんな感じだったし、進んで学ぶことは楽しいし、何よりも数学が楽しくて遊んでいたという感覚に近いです。
(その先取り学習がこの塾のすごさのひとつで、今に引き継がれているところ)
一方で学校はというと、中学3年の時のクラスも担任も当時の僕にとってはすごく嫌で、もう学校がたまらなく嫌だった。
サッカーもやっていたし、まあそれなりに楽しくはやっていたのだけれども、大人に対して、社会に対して、そして自分自身に対してこれでもかというほどの疑問と、不信感を抱きながら生活していた時期です。
勉強の楽しさ、みたいなものを持っていなかったならば、僕はどこにも逃げ場所がなかったように思います。
中3〜高1にかけてくらいというのは、本当に不安定な時期でした。
めちゃくちゃ本を読み漁っていたし、たくさん勉強もした。
その世界にしか、自分自身の居場所がなかったんです。リアルな世界では、あまりにもいろんなことがありすぎた。
僕の中学時代の話です。
大学で物理学を学ぼうと決めたきっかけ
僕が、大学はどこに行ってもいいから、絶対に物理学科に行こうと思ったのもちょうどその頃。中学3年生の後半くらいでした。
そしてその大きなきっかけになったのが、僕が当時通っていたその塾だったんです。
そう、その塾は数学専門の塾であって、全く物理も理科も教えてはくれませんが、とにかく数学の楽しさを教えてくれた。
そこから自分自身でもどんどん、難易度の高い数学の本を読み漁るようになっていました。
自然科学の探求に興味を持って、大学は理学部に行こう。できれば数学科かな?などと思いつつも、大きな壁にぶち当たりました。現実の壁です。
残念なことに、僕には数学の才能がなかった。
それに気づけたのが、中学3年生。
僕の通っていた中高一貫校の私立は、地方の中ではまあいわゆる一般的な進学校に近い感じで、当時、僕のいた最難関クラスには、数学(とか英語とか理科とか)の猛者みたいな人たちが何人もいました。
結果的に現役で東大・京大に受かっていく奴らもいたし、医学部もゴロゴロいます。
(実際僕らの学年は過去最高だったらしく、現役で旧帝大含む国立と私立大学を全制覇したw)
毎週のように数学の意味不明なほど難しいテストを受けさせられ、平均点は毎回20点くらい。僕も毎週10点〜20点くらい。
そんな中で80点とか90点を連発し続ける変態がいたんですね、ほんとに。
当時の僕は、高校レベルの数学まで勉強していて、ですよ。中3では微積とかくらいまでは普通に終わっていた。それでも、解けないんです。全くわからない。
そのくらい難しいテストが課されて、それを解く人たちというのは、やっぱり才能だと思いました。
当時、多少は勉強ができると思っていた自信なんてものは残っていなくて、僕には数学は無理だと、いい意味で諦めることができました。
じゃあ僕は大学はどうしよう?と思った時に、出会ったものが物理学でした。
数学の本をたくさん読んでいると、すなわちそれは自然科学の本ですから、物理学の話がたくさん出てくる。
気づけば僕は、数学をきっかけにして、物理学という学問の入り口に入っていました。
その時から大学に入るまで、物理学科以外に行こうと思ったことは一度もありません。
通っていた塾から学んだサイエンスを学ぶ楽しさと、学校の同級生たちから気づかれた数学の「才能」の壁。
それが、僕が大学で物理学を学ぼうと思った、大きなきっかけでした。
(ちなみに、大学に入って気づきましたが、やっぱり物理学も天才たちが溢れている分野で、僕には無理でしたが。笑)
講師の側として塾に戻ってきたはなし
今からもう8年くらい前の話ですが、僕が中学校を卒業すると同時に、その塾も卒業しました。
その当時は、中3で卒業、という流れだったんですね。
高校に入った僕は、もちろん数学の授業で困ることはなかったのだけれども、それ以外にあまりにも困ることが多すぎて、この塾で学んでいた勉強の楽しさも、夢も、何もかもを手放してしまいました。
10代後半の、僕の暗黒の数年間です。
そして本当にいろんなことがあって、僕は無事、大学生になることができた。
本当にもう、大学に通えないんじゃないかと思っていたほどでしたので、すごくすごく嬉しくて。
たくさん勉強をしたい。物理学を学びたい。いろんな本を読みたい。
そんなことを思っていた時に、ふと思い出したのが、中学時代に通っていた、この塾のことだったんです。
もう何年も顔を出していなかった僕ですが、どうしてもあの頃のお礼がしたいと思って、大学生の僕として遊びに行ったんですね。
塾長、いろいろありましたが、なんとか大学生になることができました、と。
あの当時、僕に勉強の楽しさ、数学の楽しさを教えてくれて、ありがとうございました。
そんな風に伝えようと思って、久しぶりに顔を出した塾。
最初、教室に入ってびっくりしました。あれ、こんなに生徒がたくさんいたっけ?と。笑
というくらい、活気にあふれた塾になっていて、すごく嬉しかった。
授業終わりの塾長は、「久しぶり、誰それからちょっとは聞いていたから、元気そうで良かった」とそんな風に言ってくれて。
そして、一言。
ゆってぃ、土日は大学は休みだよね?いま、ここで教えられる先生が少なくてさ。給料は弾むから、ここで教えてもらえない?
と。
僕の話なんて、一切聞こうとせず、気づけば僕は塾講師のアルバイトが決まっていました。笑
中学3年の頃、この塾でたくさんのことを教わりました。
そしてそれから数年が経ち、今度は僕が講師の側として、再びこの塾に戻ってくることになった。
僕はおそらく、この塾でなかったならば、そして塾長からの誘いでなかったならば、アルバイトはしていなかったと思うんです。
でも、あの時は不思議と、すんなりやろうと思った。どうしても、恩返しがしたかったからです。
結果的に僕は、生徒として教わっていた時代の何倍もたくさんのものを、講師の側の立場として学ばせてもらいました。
恩返しどころか、むしろもっとたくさんのものをもらったわけですが。
そんなこんなんで、今年の春3月まで。気づけば3年近くもの間、僕はこの塾で塾講師をしていました。
本当にたくさんのものをもらったし、いい経験をした時間だったと思います。
感謝です。
さて。
長くなってしまったので、ここで記事を終わりたいと思います。
もうちょっと塾の話を書くつもりだったのですが、まあ、そんなこともありますよね。
ここまで読んでくださって、ありがとう。