僕の塾講師時代の話 〜たくさんのものを背負っている小学生を見て〜

2020年5月3日子育て論, 学生時代, 大学時代

僕は大学1年の頃から、今年の3月(大学3年生が終わる春休み)まで、ずっと塾講師のアルバイトをしていました。

というのを、今更になってふと思い出したので、書いてみようかと。

なぜかというと、その当時は大学生にしては結構稼いでいた(?)のかな、なんていう会話をつい先日友人と話したことを思い出して。

大学3年生の夏の終わり頃に始めたインターンシップと両方やっていた時代は、十分すぎるお金をもらっていた。インターンシップだけでも大学生としてはわりと十分な給料をもらっていたのですが、塾講師の分とを合わせると、その倍以上は軽くいっていました。(そのほとんどが僕の本代と、コーヒー代に消えていった。)

個人経営の塾で手渡しだったので、面倒な手続きとかは一切なかったけれど。。

塾講師というのは大学生のアルバイトとしてはメジャーだと思うのですが、僕のいた塾というのが、ちょっと特殊?なのかはわからないけれど、割と誰にでもできるものではなかったこと。加えて単価が高いことも相まって、給料がよかったんですね。

何を教えていたのかというと「数学」です。数学だけ。(僕は大学は物理学科だけれど)

先取りで数学を教える、数学専門の個人塾でした。

そういうと一見普通なのですが、(自分で言うのもあれですが)結構すごい生徒たちがいた塾だと思う。

対象は小学生から高校1年くらいまでの生徒で、先取りで数学を教えます。

先取りというのは、基本的には小学生には中学分野を、中学生には高校分野を教える、というイメージです。

高校1年生(時々高校2年生もいた)には大学受験の2次試験の分野まで教えて、それで卒業させていました。

というのも、僕らは予備校ではなかったので、数学しか教えていなかった。だから、数学を仕上げた後は他の教科をやってね、ということで予備校に行かせていました。

小学生編 〜私立中学入試は人生の通過点であるという前提〜

この「先取りで教える」というのが意外と難しくて、だからこそ僕ら大学生はアルバイトでしたが、誰でもできるものでもなかった、ということです。

難関私立の中学受験を教えられる大学生というのは、意外と少ない。なぜなら、中学受験の分野というのは結構特殊で、自分自身が私立中学受験の経験がないと、教えることはほとんど無理だからです。その経験があった上で、数学なら数学、を体系的に自分の中に持っていないと、全体を見ながら教えるのは難しい。

加えて、僕の塾にいた小学生の子たちは、中学の分野まで教えていたので、例えば中学入試の問題は基本的に全部「方程式」を使って解くんです。

面倒な「なんとか算」(ありますよね、「旅人算」とか「流水算とか」)も教えてもちろん使えるんだけど、それより圧倒的に速く解くことができて間違いが少ない方程式で解かせるわけです。

文章問題は方程式で解いてね、「つるかめ算」のところは連立方程式を使っていいよ、でも他の塾とか学校では、ちゃんと「なんとか算」を使うようにしてね。

みたいなことを教えるわけです。

そんなことをしていると、教えているこちらも、もはや感覚がおかしくなってきます。

彼らは県内の私立中学は楽勝で入っていく。

その中からは一部、力試しで県外の難関私立(男子なら灘とかラサールとか、女子なら女子学院とかそこらへん諸々)を受ける人もちらほらといたので、教えるのは意外と大変で、それが可能だったのはやっぱり僕らの力ではなくて、塾長のノウハウと、生徒たちがすごかった、ということなんだなぁと。

いい経験をさせてもらいました。

ひとつ不思議な話があって、一人のある生徒が、中学入試本番の幾何の問題で、どうしても解けない問題があったらしく、

「先生、ごめん。どうしてもわからなくて、、余弦定理を使って解いたんだけど、よかったかなぁ。」

と言うんですね。小6ですよ。

(ちなみに、余弦定理を習うのは普通だったら高校2年生です。)

こんなことを書くと、いわゆる「受験地獄」みたいなものを連想するかと思いますが、そんなことはなかった。

みんな、やっぱり小学生の子どもで、のんびりやっていました。

基本的に彼ら彼女らは、1日中勉強することが苦ではなくて、楽しんでやっている。

授業の合間に塾でテレビを見たり、ゲームをしたり、外で走り回ったりして、すごく楽しそうに土日を過ごしているのを見て、僕らものんびり教えていました。楽しかったです。(「先生〜、一緒にサッカーしよーう」と何度言われたことかw)

休み時間には一緒にコンビニまで歩いて行ってアイスを買って食べたり、とか。

僕は基本的に土日で教えていましたが、中学生も似たようなものです。

すごくのんびりしながら、1日の中である瞬間にちゃんとグッと集中して勉強する。そしてその集中力の深さと時間は、並みの大学受験生では勝てないほどのもの、というだけのことです。

みんな物心ついたときから、そうやって勉強し続けてきているので、それがいわゆる「当たり前」なんですね。

僕は教える立場でありながらも、そんな彼らを見て純粋に「すごいな」と思っていました。

やっぱり彼らは小学生でありながら、たくさんのものを背負っているわけです。

きっと地元の小学校では「天才」と言われるでしょう。

どこに行っても一番だし、親や教師の期待というのもは半端ない。

その大きな期待を小さな背中に背負って、英数国理社すべての教科を、これでもかというほど頭の中に詰め込んでいます。

気づいた時から、点数と偏差値で評価される世界で戦っていて、そして常に勝ち続けている。それがどういうものかということも考えたことすらないままに、です。

僕も、まあ彼らほどではないけれど(というか、全然違うけれど)、どっぷりとその世界に浸かってきた方だと思うので、時々そんな彼らを見ていて、なんとも言えない気持ちになります。

でも、まだまだ先は長いし、少なくとも彼らはそこでもうしばらくの間、もがくことをするんだろうと。

もうしばらくというのは、大学入試を突破するまでか、社会の扉を開けるところまでか、あるいはあと20年なのか、はたまた一生なのか。それはわかりません。

僕の場合は、たまたまひとつの区切りが高校2年のときでした。

それがいいか悪いかというのは分からない。きっと、正解はないんだと思うのですが。

なんてことを思いつつ、無邪気にはしゃいでいる小学生たちを見ていると、僕自身すごく心が洗われる気分になっていました。

彼ら彼女らというのは、放っておいても勉強はします。

だからこそ僕は、彼らよりちょっとだけ歳を重ねたから見えるものとか、知っていることを話すようにしていました。

すごく目を輝かせるんですね。

そして僕が、どんなことを聞いても何かしら答えてくれる大人だとわかると、ありとあらゆる疑問を投げかけて来ます。

僕なりの考えという前提で話をすることもあれば、一緒に考えることもあったし、はたまた「じゃあ次までに考えて、自分なりの答えを持っておいで」と返すこともあった。

そうやって、僕らよりはるかに優秀な彼らは、いろんなことを学んで、自分の頭で考え、成長していくんだと思うんです。

書いていて、すごく懐かしい気持ちです。

いくらでも書くことができそう。

長くなってしまったので、いくつかの記事に分けてまた書きたいと思います。

ありがとう。