手を挙げてから考えるという習慣。 〜冷や汗をかいた数だけ、成長する〜
大学時代に、僕が身につけておいて良かったなと思う習慣があります。
それは「手を挙げてから考える」ということ。
それを日常的に習慣としてやってきたことは、今振り返ってみるとよかったなと。
つまり、例えばこれは大学の講義でも、インターンシップでも、イベントでも何でもいい。
「何か質問がある方はいますか?」
とか、
「これについて、何か意見がある人はいますか?」
とか、そういった場面というのは、わりとよくあるはずです。
そこで、必ず手を挙げること。
僕はこの習慣を、大学1年の頃からやっていました。
気づけばもう、3年以上、「何か質問はありますか?」という場面でいちばん最初に手を挙げるということをしています。
必ず、いちばん最初に、です。
必ず最初に手を挙げて発言をすると決めておくと、楽です。
自分の頭で質問を考えながら話を聞くことになるし、仮に手を挙げるときに質問がなくても、そんなものは立ちながら考えればいい。
椅子から立ち上がるまでの2〜3秒で、考える。
ぶっちゃけ、意見も質問も、何でもいいんです。
どんなことを発言してもいい。
最初に発言をする、というハードルを乗り越えることに比べたら、質問の内容なんて、二の次です。
もちろん、最初は言葉にならなかったり、「うっ」と詰まったりすることが多いはず。
僕だって、この4年間の大学生活では、めちゃくちゃ冷や汗をかいてきました。
その場面というのは、人一倍多かったはず。
当然です。自分で、そうしていたのだから。
そんなことを繰り返していると、当然ながら「何か質問はありますか?」と言われたら無意識に手が挙がるようになります。
そして、気づけば、それなりにちゃんとした内容を発言できるようになっているんです。
この習慣は例えば、会議(学生だったら何かのミーティングとか)でも、価値発揮できるもの。
一番最初に何かしらの意見を言って、場に対してバリューを提供すること。
逆に何も発言をせずにその会議(とかミーティングとか)の1時間や2時間を過ごしたのならば、その時間その場に参加した意味がないということです。
継続していると必ず、この習慣は当たり前になります。
その当たり前の景色が変わったとき、ひとつ成長したなと。
就活でもそう。
必ず「何か質問はありますか?」と聞かれます。それは最後であるとは、限らない。
会話の途中で、「では今までの話の中で、何か質問はありますか?」と聞かれます。
別にその場で質問をしてもしなくてもどっちでもいいけれど、事実として必ず質問をする人と、絶対に質問をしない人、否、質問ができない人の2通りに別れるということです。
どちらが通るかなんて、ちょっと考えれば分かるわけで。そういう小さなことの積み重ね、だということです。と僕は思っていて。
仮に、面接官に不意打ち的に、
「これこれについて、君はどう思う?」
と聞かれたときに、
「なるほど、それそれについてですか。それについて私は、」
と話し始めるのに3秒。その3秒間で、結論とその理由を2つ(ないし3つ)を頭の中で組み立てるんです。
これは、意識的であれ、無意識的であれ、選考に通る人というのは必ずやっていることです。その場の3秒で流れは考える。細かいところは、話しながら考える。
これはもう、訓練というか、慣れ以外にはないんです。
「それについて私は、〜〜だと思います。(結論)
理由は、2つあります。(根拠)
なぜならば、まず1つ目は〜〜だから。そして2つ目は、〜〜だからです」
と。僕が面接でやっていたことは、そういうことです。
もちろん、本当にわからないときは、それをきちんという。
考えさせて欲しいときは、少し時間をくださいという。
その判断は、それまでに自分でその場で結論を出す、という考え方がどれだけ身についているか、ということだと思うんです。
これはひとつ、これから社会に出る僕自身へのメッセージでもあります。
恥ずかしい経験、言葉に詰まった経験、頭が真っ白になった経験。
冷や汗をかいた数だけ、成長するんだということ。
日々、成長してありたいですね。
いつも、ありがとう。
<追伸>
これをやったほうがいいですよ、というメッセージではありません。笑
自分なりの何かを掴んでほしいな、という想いで書いています。