一生懸命読んでくれるあなたがいるから、一生懸命書くんです。

2019年1月6日書くということ

最近、僕のブログを読んでくれている方から度々もらう嬉しい言葉。

「ゆってぃさんのブログを読んで、自分もブログを書きたくなりました」

という言葉。

僕の周りの方も、Twitter経由(@zoktotuya)とかで読んでくれたり、あるいは僕を直接知らない方でも、僕のブログを読んでくれている方がいて、そういうコメントをくれたりして。

それはもう、書いている僕としては、すごく嬉しいことなんです。

そもそもこのブログというのは、あくまでも僕が書きたいから書いているもの。それ以上でもそれ以下でもないものでした。

もともと、色々なところでブログもしかり、言葉を書き綴っていた僕ですが、今年になってこのブログを新たに書き始めて。

特に大きな理由はないのだけれども、このブログはずっと書き続けようと。今までみたいに、1年経ってまた新しいブログに移転して、とかいうのはもう無しにしようと。

このブログ自体が、僕の成長の記録と記憶になったら嬉しいなって。そんな風に思い立ったんです。

書く言葉というのは、それ自体でもう自分自身なんです。

ここで書いてるものは、僕自身なわけで。

もともと自分が書きたいから書いているこのブログを、こうして毎日結構な人が読みに来てくれている。

それも、定期的に僕の言葉に触れてくれて、すなわちそれは僕自身の世界観に触れることなわけで、そこに共感してくれたり、あるいは何か思うことがあったりして、また明日も読もう。そんな風に思ってくれている(と僕は思っています)。

すごく、奇跡的な出会いだと思うんです。

これほど情報に溢れた社会の中で、僕のブログに出会って、それを読んでくれるあなたがいる。

1日の中で5分でも10分でも、僕のブログを読むことに時間を使ってくれる。

これほど、嬉しいことはありません。

上の言葉に戻ると、僕の書いている何気ない日常とか、何気ない気づきとか、そういったものに触れて、自分もブログを書いてみたいと。そんなふうに思ってくれる人がいること自体が、僕にとってはもうこれ以上ないくらい嬉しいことなんです。

なんでブログを書いているかというと、それは僕が書くことが好きだから書いている。それは事実です。

でもその中で、一生懸命読んでくれていることは、書いている僕には伝わってきます。

僕はそれが、すごく嬉しい。

一生懸命読んでくれるあなたがいるから、一生懸命書くんです。

こうして書くひとつひとつのブログは、誰かの顔を思い浮かべながら書く。

ずっと前から変わらない、僕の書き方です。

書く、よろこび。

書いたものを読んでくれる人がいるという、よろこび。

いつも、読んで下さって、ありがとう。