ものすごく、ものすごく穏やかで、そしてゆっくり時間が流れるいま、ふと想いが溢れてきたので、思わずパソコンに向かっています。
いま、この瞬間、僕は幸せでしょうか?と聞かれたときに僕は、
「いま、しあわせだと思うことはあるけれど、まだわかんない」という意味不明な答えが自分の中から出てきて、びっくりしていました。
しばらく考えていた先に、少しずつ言葉になり始めた。
それは、僕は、しあわせに慣れていないのかもしれないなぁと。
ああ、しあわせだなぁと思う瞬間は、実はすごくたくさんあるんです。
何気ない日常の一瞬一瞬の中に、感性が揺れ動くことは、たくさんある。いま、この瞬間でよかったなぁ。心からそう思います。
一方で、なんだろう。僕はそのしあわせな感覚を、ずっと持ち続けていることができないんです。
自分で持たないようにしているわけではなくて、気付いたらちょっと前までに持っていたしあわせの感覚が、どこかに行ってしまっていて、あれ、と思った時には僕はすでに、何かに苛立っていたり、行き場のないフラストレーションを抱えて立っているわけです。
本当だろうか。
実は僕は、傷つくことから逃げていて、実は自分自身でそのしあわせを手放しているんじゃないか。そんなことを考えたことも、一度や二度ではないんですね。
もうちょっとだけ、時間がかかるかもしれないけれど。
定義づけの日々にとらわれないで、もう少し自由に生きられるだろうか。