まずはタイトルを書き溜めておく。〜タイトルに頭を使うことで、本文は手が勝手に動く〜

2019年1月6日書くということ

僕は毎日、幾つかの記事を書くことが多いのですが、まず”書きたいタイトル=伝えたいメッセージ”から書き出しています。

パソコンでブログを書いていますが、こうやってパソコンに向かうことができない外出中などは、iPhoneでタイトルだけを書いて下書き保存をしていたり、あるいはこのブログにリンクしている匿名のTwitterで思いついたメッセージを書きます。

タイトルは、そのブログで最も書きたいメッセージの上澄みの一滴なんです。だから、そのタイトルを考えるのに、最も頭を使う。

このブログの「まずはタイトルを書き溜めておく〜タイトルに頭を使うことで、本文は手が勝手に動く〜」というのも、最初にこのタイトルから考えました。

こうして書いている本文中の見出しを書く際も、頭を使います。

でも、実際にパタパタと手を動かしているのは、頭で考えているというよりは、手が勝手に動いているという感覚の方が近いです。

言いたいこと、書きたいことが内側からどんどん溢れてきて、僕自身はその溢れてきたものをただパソコンに打ち込んでいる、という感じです。

もちろん、書き終えた後には誤字脱字がないかとか、日本語的におかしい部分はないかとか、一通り目は通しますが、基本的には書いているその場の熱量みたいなものを重要視して書いています。

なぜかというと、書きながら推敲を繰り返していくスタイルで文章を書くと、文章の勢いみたいなものがなくなってしまう。

少なくとも僕の場合はそうです。

僕が文章を書く上で大切にしているのは、リズムです。音楽的なリズムなんです。

だから、こうして書いている時も、僕の頭の中では文章を読み上げていて、それを文字で表現しています。

音に出して読んでみた時に、違和感がないような書き方、語り方で言葉を綴るようにしています。

こういうブログもそう。あるいは小説なんかでもそうですが、どんどんと読み進めていける文章というのは、そこにリズムがあるからなんです。

もちろん日本語的におかしいというものは直した方がいいですが、それでも多少のニュアンスとか、文法とか、そういったものが重要なのではなくて、その人が書いた文章をもっと読みたい、今読んでいる言葉の先に進んでみたい、という気持ちを持ってもらう方が大切です。

読み手にそう思ってもらえるためには、そこにリズムが必要で、そして実は書き手自身もそこにリズムを感じて、もっともっと書き進めたいというパッションがないと、その文章は面白くないんだと思っています。

僕はそういう想いで言葉を綴っています。自分が書きたいことを書いて、後で文章全体の体裁を整えていく。

体裁を整えることはするんですが、でも書いた瞬間の熱量みたいなものが失われないようにしている。

書くことで、自分自身のその先に到達できる。だから書くことはやめられない。

実際に、書き進めている中で、その文章がどこに着地するのか、そもそもどうやって書き進められていくのか、書き手である僕自身にもわからないことが多い。

いま書いているこの内容も、このブログの前半を書いている時には、全く想像すらしていなかったことなんですから。

だからこそ、書いている自分自身が、書いていて最も面白い。

進んでいく中で、どういう世界にいくんだろう。何が待っているんだろう。

そんなワクワク感を持ちながら、文章を綴っています。

書くことは、自分自身の内側のより深いところを掘り下げていくことです。

書いていく中で、自分自身のその先に到達することができます。

だから僕は、書くことはやめられないんだと思います。

そしてそれは、書くこと以外でもなんでもいい。

絵を描くことかもしれないし、ものを作ることかもしれない。あるいは、自分の理想を形にしていくビジネスかもしれない。

なんだっていい。

一つのことに没頭している人たちというのは、結局は常に自己との対話なんです。

他人との勝負ではなくて、自分との対話。

だから、限界なく突き進んでいくことができるのだと思っています。

僕は早く、その世界を見てみたい。

いま想像できる世界のその先に、何があるのか。

それが楽しみで、眠れないほどにたまらないんです。

淡々と、でも気づいたら遠いところへ辿り着いていた。

そんな人生を、歩みたいですね。

ありがとう。