自分の書いた文章を読む人は、自分に興味がない、という前提 〜3秒間、広告を目にしたら勝ち〜
僕はこうして日々文章を綴っているわけですが、それは自分が”書く”ということをしないと、いてもたってもいられないからで、自分が書きたいから書いている。それ以上でも、それ以下でもないんです。
でも一方で、こうして僕の書いた言葉を読んでくれる人が1人でもいて、その5分間で何か一つでもあなたの中に入ったら嬉しいな、という気持ちもあります。
実際に、僕の日記を読んでくれる人がいて、その感想をくれる人がいる。それは、ものすごく嬉しい事です。
これは、実際に自分で文章を書いている人にしかわからない喜び。
自分の書いたものを読んでくれる人がいる、というのは、それ自体が奇跡のような事なんだと思っています。
文章を読む人は、自分に興味がない、という前提で
僕がいまインターンシップをしている内容はHR(人材)領域ですが、もともとは広告、クリエィティブの企業なので、例えば文章一つをとってみても、すごくシビアに見られる。
例えば僕の上司はもともとはコピーライターであり、あるいはクリエィティブ全般を担うディレクターであったりします。
企業に取材に行って文章を書く時もそう。
あるいは、SNSのページの文章でもそう。
基本的に文章を読む人は、書き手である僕ら自身には全く興味がない、という前提で、文章を書いていかなければならない。
企業広告とかでもそう。
一般の人が広告を目にした時、その広告を3秒間、目にしたら勝ちというのが、広告業界での常識といわれています。
僕はこの事を教えてもらった時、すごく目からウロコだった。
それまでは、読み手の心情を想像して文章を綴るということを、全くしていなかったのだなと。読み手の状況なんて、お構いなしの文章を一方的に書いていたなと。
あなた自身に興味がない人に、いかにあなたの文章を読んでもらいますか?ということです。
その先に、あなたが書いた言葉に共感してもらって、行動してもらう、というところまで持っていく必要がある。
広告だったら、このサービスを使ってみたい!と思ってもらったり、あるいはこの商品が欲しい!と思ってもらう。
それだけではなく、実際に”購入する”という行動を起こしてもらう必要がある。
それがいかに難しいことか。。
だからコピーライターという職業は、1行のコピーで数十万とか数百万とか、そういう世界なんだという事ですね。
当たり前の物事を、違う光の当て方で綴る
翻って、僕自身が綴っている文章はどうか。
書きたいから、書いている。
それには間違いないのだけれど、やぱり読んでくれている人がいるわけですから、いいなと思ってもらえる内容を書きたい。
こうやって綴っているブログで、僕がいいなと思う文章というのは、読んでいる人が漠然と思っていることなんだけれど、言葉にならない。
その言葉にならないものを、わかりやすい言葉で書いて表現しているもの。
それが一つ、いい文章なのだと思っていて。
加えて、それが書いている僕という人間特有のフィルターを通して、言葉になっているというのがいい。
光の当て方が人とは違う言葉。
当たり前のことを、どうやって別の角度から光を当てて書くか、ということです。
だからこそ、この人の文章をもっと読みたい!と思ってもらえる、ということにつながるんですね。
そしてそれは文章だけではない。
日頃、どんなことを考えていて、何を感じていて、物事をどんな視線で捉えているのか、ということが問われている。
だから、書くという事は、難しい。そして、面白い。
いつも僕のブログを読んでくださって、ありがとう。
あなたに、支えられています。
これからも、よろしく。
<追伸>
独特の感性というのは、それだけで素敵なこと。