未来完了形で生きるということ

2019年1月6日日々徒然

どこか懐かしい感覚で、僕はここ1ヶ月くらいの生活を過ごしています。

就活において、もう面接は終わり、となったのが7月上旬くらい。

僕が6月に内定をもらった企業に、いくという決断をしたのが8月頭のことです。

7月の途中から、僕はいまのすごく快適な生活をするようになりました。

朝は5時〜6時の間に起きて、シャワーを浴びてスッキリした状態でスタバに行って、そこから自分の時間を過ごしています。

大抵午前中は何も予定がないことが多いので、お昼頃までずっと集中をして、自分の時間として、ブログを綴ったり、文章を書いたり、本を読んだり、自分のやるべき仕事をしたりと、頭をフル回転させる時間にしています。

仮に朝に大学がある場合や、仕事(インターンシップの仕事)のミーティングがある場合も、それらは大抵10時からなので、それでもゆうに3時間以上の時間がある。

それまでの時間というのは、新しい1日の始まりとして、僕にとってものすごく大切な時間です。

僕はこの生活スタイルが、すごく懐かしくて、そして実は、それは過去の経験ではなくて、未来の時間における懐かしさ、みたいな感覚なんですね。

過去に紐付いた、要素はある。

要素としては過去にこういう生活スタイルを持っていたけれど、でも大きな枠組みは、未来だと思っています。

僕は大学に入る頃には、未来はこうして生きる。生活スタイルはこう、という強烈なイメージを持っていた。

それは「こうなったらいいな」という願望ではなくて、「こうなるのが当たり前」という当然思考でもなくて、実は「こうなっていた」という未来完了形の感覚。

意味がわからない方もいると思いますが、僕は近い将来の未来はわからないけれど、「いずれこうなる」ということが感覚的にわかっていて、それがいわゆる未来完了形の強烈なイメージとして僕の中に入っています。

そして今の生活というのは、すごくそれに近しいものなんです。

僕の大学時代もそう。

10代の頃、僕はこういった大学生活を送るんだ、というイメージが自分の中にあって。

僕自身の4年間を振り返ると、一瞬一瞬は全く関係のないことをしていたように見えて、4年間をつなげてみると、すごくそのイメージに近い大学生活を送れていました。

圧倒的に勉強をして、本を読んで、自己との対話を通して孤独に自分を磨いて、書き続けて。

その先に、いろんな人と出会って、いろんな価値観に触れて、人としての器がぐいぐいと広がっていって。

考えていなかったことは、ここまでがっつり仕事をして社会に関わるようになることと、あとは大学院に進学しないという選択をしたことの2つでしょうか。

でも、いずれはそうすることがわかっていたので、2年早まったくらいのものですが。

僕は自分で選んで、来年から企業に就職するという選択をしましたが、それは未来にこうなる、という強烈なイメージがあって、企業での経験はその1ピースだと確信しているからです。

就職したその先にどういう未来があるのかは、わからない部分も多い。

だけれども、今の生活の要素は絶対にあって、それらは僕自身を作る、かけがえのないものです。

改めて、そのことに気づくことができた。感謝です。

きっかけをくれて、本当にありがとう。

これからの人生も、よろしくお願いします。

<追伸>

公開日の今日は9月6日なので、あれからさらに3週間くらい経っていますが、今も変わらず素敵な時間を過ごしています。ありがとう。