「どうせ」という口癖をなくすこと。〜人生の可能性を倍にしよう〜

2019年1月6日日々徒然

例えば大学生になって、それまで以上に大きく成長していく人と、そうでない人の差というのを、僕はこの大学時代にすごく実感しています。

僕自身もそうなんだけれども、なんだろう、この人もったいないなと思う人というのは、自分の考えに固執しちゃう人なんだなと。

つまり、「これ、いいよ」とか「こうしたらもっと良くなるんじゃない」という周りの声を、聞こうとしない。

僕自身、すごくプライドが高いし、自分なりにちゃんと考えをもってやっているんだという気概があって、なかなか自分の枠を広げてまで行動をするということを、なかなかしなかった。

特に大学の前半くらいまではそうでした。

今となって思うこと。

それはすごく、勿体無い。

人からアドバイスをもらったら、あるいは新しい価値観とか考えに出会ったら、とりあえず一回飲み込んでみる。

飲み込んでみるというのは、最初から否定せずに、一度は自分の中に入れてみて、自分なりに考えることをする、ということです。

一度やってみて、それでも合わないこととか、合わない価値観というのは、違ったんだということで、もう手を出さなくていい。

でも、一度もやってみたことがないのに、頭でっかちになって、最初から「どうせ」とか、「こんなものでしょ」というふうに、斜に構えることは、倍のチャンスを失っているということに気づくことです。

ふと、僕が読んでいる大好きなブログで、「どうせ」という言葉を使わないようにする!

という素敵な記事があったので、引用します。

でも、よくよく考えると、ほとんどみんな「私のほうが好き。」なひとだね、の話。

でも、よくよく考えると、ほとんどみんな「私のほうが好き。」なひとだね、の話。 – 日高春奈、ぐるぐる人生の記録。

本当に彼女が書いている通りだと思います。

これは何も、何でもかんでも人の言うことを聞くとか、そういうことではない。

何でもかんでも飛び込んでみる、というはなしでもない。

ただ、「どうせ」とか「所詮」とか、そういう言葉で自分の可能性を狭めることは、すごく勿体無いですよ、ということ。

ということを書いてた一方で、それでもやっぱり大切にしたい自分の考えとか、いや、私はこういうふうに思っているんだ。周りの人がなんと言おうと、これを貫くんだ。という気概があることは、同時に素晴らしい。

それらは相反するものではなくて、一体化させるべきものだと僕は思います。

貫きたい信念とか、想いとか、それらはあなたがあなたである理由であって、あなたの軸なんです。

その想いを大切にした上で、より多くのことに挑戦してみる、ということなんだと。

僕もそんな生き方をしていきたい。

ありがとう。

<追伸>

共に、咲きましょう。