出会ったすべての人に対して手紙を書くということ 〜時間は、命の断片〜
僕は、高校時代から大学時代にかけて、ずっと続けている一つの習慣があります。
それは、出会った人すべてに手紙を書く、という習慣です。
なぜ、今時そんなことをしているのか?
周りの人には、何度そんなことを聞かれたからわかりません。
僕が日々、出会ったすべての人に対して手紙を書いている理由。
それは僕が10代のころ、身体を壊して入退院を繰り返していた時に、一つの事実に気付かされたからです。
「時間は、命の断片である」
と。
目の前の誰かと、会って話をする、という時間を共有すること。
あなたが、朝目覚めて新たな1日を過ごし、夜眠りについた後に、再び新たな1日が訪れるということ。
いまこの瞬間に、ここに生きているというここと。
それらは、当たり前のことじゃなく。
日々の中に埋もれて、見えなくなってしまっているけれど、当たり前なんかじゃない、奇跡なんですね。
一期一会。
誰もが、僕も、あなたも、周りの人もみな、間違いなく死に向かって生きている。
僕らの命は有限で、限りあるものであるということ。
そして、いま、この一瞬一瞬が、そんな限られた命の断片であるということ。
僕は運の良いことに、10代の頃の病気を通して、そのことに気づかせてもらうことができました。
だからこそ、出会った人と共有した時間というのは、お互いの命の断片を共有しているものであって、その出会いに対する感謝と、出会ったという事実。そして想いを「言葉」にして残すために、僕は手紙を書くということを始めました。
僕はこれから、出会ったすべての人に手紙を書こう。
そう決めたあの日から、もうすでに約7年が経ちます。
特に大学時代に僕は、新たな出会いにものすごく恵まれた。
そうして出会った人のひとりひとりに、手紙を書き綴っています。
例えば、社会人と出会うことが多くなると、必ず名刺をもらう。
名刺をもらったその日に、出会ったことへの感謝と、かわした一言や印象に残ったことを、大きな文字のメッセージで綴る。
新しく誰とも出会わなかった日は、今まで出会ってきた人の中から、ふとピンとくる人に向けて、ハガキを書く。
そんなことを繰り返しているうちに、気がつけば何百枚どころではなく、何千枚というハガキを綴っていました。
出会いに感謝。
言葉にならない想いを伝えるために、言葉を綴っている
出会いの先には、言葉があって、ハガキを書くことができる。
否、実は僕は、お礼状を書くために、新たな出会いを求めているのかもしれません。
書くことが、好きだから。
誰かに対して手紙を書くことほど、心躍るものはない。
こうして日々、ブログを綴るときも、誰か1人の顔を思い浮かべて言葉を綴っています。
言葉にして、すべてを伝えることができない不器用だからこそ、文字にして手紙を書くんです。
想いをうまく伝えることができない女々しさを持っているからこそ、日々ブログを綴っているんです。
以前、福山雅治さんが、素敵なことを言っていた。
「愛しているという一言を伝えるために、100曲もの曲を作るんだ」
と。
そういうことだと思うんです。
思ったことを言葉にできない。伝えることができない。「好き」という一言を伝えることができない。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も、「大好きです」もそう。
言葉にならない想いがあるからこそ、こうして日々、言葉を綴っているんだと思います。
いつも支えてくれて、ありがとう。出会いに感謝。
いつもこうして僕の言葉を見に来てくれるあなたに、支えられています。
これからの人生も、よろしくお願いします。