相手を否定するという強さが求められる時もある
先日の記事で、「メモを取ったら怒られる」という内容の記事を書きました。
これも僕の中ではわりと衝撃的だったのですが、それ以上に僕の価値観を揺さぶるような言葉に出会ったことを書こうと思います。
「僕はこう思う」は何も言っていないのと同じ
社会への入り口とも言える就職活動においては、自分の意思や考えをきちんと言語化すること。それを相手に伝えることが大切だったわけで、僕はそれを再三このブログにも書いてきたわけです。
そして、もちろんそれは大切なんだけれども、それ以上に問われるものがあるのだということに、この仕事をし始めて気付かされました。
配属されてしばらくして、5月だったと思いますが、僕は上司にこう聞かれました。
「例えば、お前が担当しているクライアントの社長の考えが間違っていると思った場合、お前はどうする?」
と。
そんなの決まってるでしょ、と思いながら、僕は、
「僕はこう考えている、と相手にきちんと自分の考えを伝える」
と答えました。
すると、上司にこう言われた。
「お前は、相手を否定できるか?」
と。
僕は「相手を否定することはしないけれども、きちんと自分の考えは伝えるし、今までもそうしてきた」と答えたんですね。実際にそうやって生きてきたんです。
そんな僕に上司は、「まだまだだな」と言ったんです。最初は言ってる意味がわかりませんでした。
その意味はこういうことなんだと、後から気付かされた。
つまりは、「自分はこう思う」と相手に伝えるだけでは、それは僕らはコンサルとして、何もしていないことと一緒なんですね。それは何も言っていないのと同じことだと。
僕らの仕事というのは、たとえそれが正解かどうかはわからなくとも、相手に一つの答えを提示しなければならない。もちろん相手と一緒に考えて、答えを作って行くのだけれども、相手が言っていることをそのまま聞くだけでは、ただの御用達なわけで。そこに僕らの価値はないんですね。
有名な大前研一さんの言葉ですが、
「社長、雨が降ってくる確率は、50%です」
というのは、仕事じゃないんです。そうではなくて、例え50%しか雨が降らないだろうとも、
「50%の確率で雨が降ってくるので、傘を持ってください」
と言わなければならない。
つまりは、自分なりの答えを相手に提示しなければ、そこに僕らの価値はないんだと。
上司が僕に伝えたかったことは、「時には、相手のことを否定しなければならない」ということでした。
「あなたが言っていることも一理あるけれど、僕はこう思う」
ではなくて、
「あなたは間違っている。御社のためには、こうすべきだ」
と言わなければならないのだと。
相手を否定する強さが求められる時がある、ということなんです。
正しさとは何か?
一方で、例えば先方が「こういうことをしたい」と言っている時に、僕はそれが違うと思っていて、じゃあ僕はどちらを提案すべきなのか?
相手の意向を組んだ提案をすべきなのか、それとも、あなたは間違っているから、こちらでいきましょう、と言えるのか。そう言うべきなのか?
こうして書くのは簡単だけれども、実際のビジネスの場で、相手ははるかにその道のベテランで、それでも論を張って相手を動かすことができるのか?
目の前の1人だけじゃない。実際にプロジェクトが始まるとなれば、何人も、場合によっては何十人ものチームを先方に動かしてもらわなければならなくて、それだけの論を持って相手に「うちのチームを動かそう」と言ってもらえるだけのものが提示できるのか。
そもそも、僕が思っていることが間違っているのかもしれない。それは、どれだけ考えても今この瞬間にはわからないものなのかもしれない。
みたいな葛藤があった時に、僕は何を自分の軸として、決断をするのか。あるいは、相手に決断をしてもらうことができるのか、ということです。
こうして言葉を書き綴っているだけで、わけがわからなくなってきましたが。
いずれは見つかる、みたいな悠長なことを言っていられるものでもなく、そんな中でも僕は決断をしていかなければならないわけで。
強くなりたい。愛を忘れないで、目の前の仕事と、お客様に向き合いたいなと思っています。
いつも、ありがとう。