自分の頭で考える癖

日々徒然

例えば、「何かスキル」が欲しいと言って、資格試験に励む人も多いと思う。

その努力は尊いと思うのだけれど、「スキルアップをしたい」「市場価値をあげたい」という観点のみで資格試験取得の勉強に励むのは、ちょっと別の視点もあるのではないか?という投げかけから。

皆んながちょっと頑張ればできる資格の価値って・・?

当たり前といえば当たり前の話なんだけれど、「今まで特筆すべきスキルがなかった私でも、ちょっと頑張ればできる資格」というものがあったとする。
あなたがちょっと頑張れば取得できる資格というのは、あなた以外の多くの人にとっても「ちょっと頑張れば取得できる資格」である可能性が高いのだ。

多くの人が取得している資格であり、それを生かした(?)仕事が仮にあったとするならば、その仕事はあなた以外の誰でもできる可能性が高いので、結果的にそれは特筆すべきスキルや市場価値を上げることには繋がりづらいと思うのだけれど、いかがだろうか。

こう聞けば当たり前のように思えることかもしれないのだけれど、実は意外と見落としがちな観点。

例えば「転職をするために」といって英語(TOEIC)や中小企業診断士のような「ちょっと頑張れば(ある程度)誰でもできる資格」に精を出す人は多いのだけれど、その勉強が趣味ならよくても、残念ながら本質的な市場価値の向上にはつながらない。もちろん知識は増えるので、勉強しても無駄とは言っていない。

市場価値の向上につながるスキルや実績というのは、そういう「手に入れやすいもの」ではなく、愚直な実績の積み重ねから来るものだと思うのだけれど、いかがだろうか。

ちなみに、大企業が採用において「学歴」を重視するのは、学歴こそ一朝一夕に手に入れられるものではなく、18年間の集大成として替えが効かないものだということを十二分に知っているからなのだ。それが社会の本音だよね。

学歴があれば仕事ができるとは限らないし、仕事ができる人の中には高学歴以外の人もいるというのは事実だけれど、やっぱり然るべきポジションに着く人たちというのは、学歴も兼ね備えている人が多いと思う。

それは結果として、然るべきポジションにふさわしい結果を出す人たちが、高学歴であったということなのだ。

「皆んながやっている」は判断材料にならないのが大人のルール

日本人はわりと「皆んながやっているから」という理由で物事を判断する人が多いように思う。「同調圧力」に弱い国民だというのも周知の事実。

「かくいうお前も日本人だろ」と言われれば、「はい、そうです」としか言えないのだけれど、やっぱり大人のルール、世の中の原理・原則として「多数決で価値は生まれない」ということや「幸せは皆んなと真逆にある」ということを知っていた方がいいと思うのだ。

安易な結論に飛びついてしまう、安易な考えの人たちが多いというのが社会の実態だと思うのだけれど、例えば「皆んなが買うから大丈夫だろう」ということでタワーマンションを(ローンを組んで)購入したり、自分には不要なものを見栄えのために手に入れたり、「親がいうから大丈夫だろう」ということで銀行に就職をしてみたり。

いや、わかる。自分の頭で考えないことは楽だから、それは癖になってしまうのだ。だって「お母さんが言ったじゃないか」と後から言えるしね。

ちきりんさんの「自分のアタマで考えよう」という素晴らしい本があるけれど、世の中の情報を自分で仕入れて、自分の頭で考える癖をつけないと、いつまでも「搾取される側」で終わっちゃうよ、というのがドラゴン桜の桜木先生のメッセージ。

 

あなたの意思決定は、本当に自分の頭で考えたものですか?

それとも、自分で考えたと思い込んでいる、誰かの(目に見えない”みんな”の)同調圧力ですか?

 

ということを考えさせられることが多い今日この頃です。(´・ω・`)