誰と信頼関係を築いて生きていくのか
とある友人と話をしていて考えたことを書こうと思う。
その彼は、職場の人に認めてもらいたいという願望はもちろんのこと、自分の人間関係の外側にいる人たちにこそ見栄を張って認めてもらいたいという要求が強かったという。
でも、「やっぱり自分の内側の人に認めてもらうほうがいいですよね」というのだ。
確かにそうなのだと思うのだけれど、「誰に認めてもらいたいのか」ということを考えたことがない人というのは多く、「誰でもいいから、今いる場所で、自分の承認欲求を満たしてほしいから頑張る」という生き方をしている人は世の中にたくさんいる。
僕の職場の人たちは9割以上がそういうタイプだと思うし、「会社で認められなければ、自分には居場所がない」と本気で思っている人たちが大勢いて、僕は社会人になって「大人もやっぱりそうなんだよな」と思うようになった。1つの大きな学びである。
1つしか居場所がないというのはやっぱりキツいし、それだけが世界じゃないよと思うのだけれど。
僕は「誰にでもいいから、認めてほしい」という生き方はやっぱりしんどいと思う。
これは僕自身の価値観なので、「いや、広く広く認めてほしいのだ」という野心を持っている起業家の人たちなどのエネルギーには感服するが、僕自身はそのようなコンプレックスを持ち合わせていないし、野望もない。
自分の軸が薄い人ほど、他人に承認欲求を求める。
だから、しんどい生き方になってしまう。
そりゃあ、そうだ。自分の軸がなく、他人の軸で生きているのだから。
仕事をする上でもそうだし、これからの人生を生きていく上では、「誰と」信頼関係を築きたいのか。誰と信頼関係を築きたいと自分自身が思うのかを考えることで、自分の人生の時間の使い方が大きく変わってくる。
信頼関係というのは双方向、つまりは相手があって初めて成立するものなので、自分自身が「この人と」と思って、それが相手と叶うかどうか。
僕の場合は、広く多くの人ではなく、自分の近しい範囲の人たち、内側の人たちと信頼関係を築ければ、それで御の字だと思っている。
仕事を通して100人に出会って、その中で究極、1人でも僕自身のこれからの人生の中で共に成長していける人と出会えたのであれば、それ以上の贅沢は言わない。
つらつらと書いているけれど、こうして僕が文章を書き綴っているものを、100人の人が読みに来てくれたとして。
その中で1人でも、僕の言葉が届く人がいれば、これ以上の幸せはない。
僕が日々、いろんな物事を見て、考えたことを言葉にし、それを1人でもいいから「ああ、ゆってぃのブログを読んでよかった」と思ってくれる人がいるのであれば、僕は毎日ブログを綴っていてよかったなと思えるし、そんな文章を書いてありたい。
自分の心の底の第一志望は何か知る
僕が10代の頃に出会った言葉で、人生を変えた言葉がこの「心の底の第一志望」という言葉。
例えば、心の底から信頼できる人と出会い、その縁が続くのであれば、それ以上になぜ、見知らぬ誰かの声を気にすることがあろうか。
僕が今まで出会った人の中で「この人は素晴らしいな」と思える人は皆、淡々と自分自身のなすべき使命に向き合っているように見えた。
なぜ、その人たちが淡々と自分自身の使命に向き合い続けられるのかといえば、それは自分自身の「心の底の第一志望」を知っているからであり、第一志望の友人と、パートナーがいるからだと気づかされた。
「この人のためなら、何があっても構わない」と思える親友とパートナーが1人ずついれば、それ以上に必要な出会いがあるだろうか?
心の底から安心できる信頼関係があり、愛する人がいるのであれば、それ以上になぜ、他人のいうことに心揺れ動かされることがあろうか。
そういう安心という土台の上に、自分自身の人生をどのように生きるべきかということがわかっているのであれば、それ以上の幸せはないと僕は思う。
そういう人に出会うこと、そういう使命を見つけることが人生なんだと思っている。
そのためにはやっぱりあなた自身が好きだったことを思い出さないといけないし、魅力的な人であったほうがいいと思う。
だから本を読もう。素敵な音楽を聴こう。人と会うのもいいけれど、1人の時間も持とう。自分を磨こう。がんばらなくてもいいから、ちゃんと毎日を生きよう。と思うのだ。
素敵な日々を丁寧に生きたいものです。
今日も、いつもブログを読んでくださって、ありがとう。