雨垂れ石を穿(うが)つ

日々徒然

充実した人生を送るのに一番大切な概念が「死」という感覚だと思うのです。

世界に生きる全ての人たちが、生まれてきた瞬間から死に向かって生きているのですが、多くの人はその事実に気づかずに日々を過ごしています。

死の概念、死の感覚持っているということは「時間の有限性」を感じて生きているということです。

僕らの人生には誰しも必ずゴール(終わり)があるからこそ、一瞬一瞬が彩るし、その瞬間を全力で生きることができる。
逆に無限に続く人生であったのならば、僕らは生きる意味も面白さも感じられなかったのではないでしょうか。

 

幸せな人生とは何かと考えたことがあります。

幸せな人生とは、死ぬ間際まさしくその瞬間に「色々あったけれど、なんだかんだ、良い人生だった」と思えることなのではないでしょうか。

そう思える人生を今生きられているのであれば、それが幸せな人生だと思うのです。

 

「雨垂れ石を穿つ(うがつ)」という言葉があります。

雨垂れ(あまだれ)石を穿つとは、どんなに小さな力でも、根気よく続けていればいつか成果が得られるということのたとえ。

軒下から落ちるわずかな雨垂れであったとしても、長い時間同じところに落ち続ければ、硬い石にも穴が開くという意味の言葉です。

かたい話をするわけではなくて、ハッピーで楽しい人生を生きようと思うのであれば、結局は「その一瞬だけ頑張る」のではなく、ぽつりぽつりと、一生を通じて継続できるペースで頑張る方がいい。

むしろ、「その一瞬だけ頑張るもの」ではなく「一生継続できるもの」に出逢い、それを大切にする人生を選ぶ方が、人生が切り拓けてくるのです。

 

三日坊主を続けてもいいから、「100個の三日坊主」の蓄積が、ひとつの「一生の継続」に出逢うきっかけになると思うのです。

雨垂れ石を穿つ。そんな人生でありたいものですね。