あの頃の「今この瞬間」が蘇る時間を生きられる幸せ
大人になると、それぞれの場所で、それぞれが役割を持って頑張っていて。 そしてまたご縁が繋がって、新たな出会いや物事が生まれていく。 社会の面白さというのは、こういうところにあるのだと思うのだ。
5年後に繋がる出会いがある(大人の少年で、僕はありたい。)
「これ、やばいな。最高に共感です。グッときました。」
そう言ってくれたのは、僕が学生時代にものすごくお世話になったステキな大人の人。
大学時代からたくさん話をしてもらい、いろんな語りをしてもらった人。
僕が就職をして東京にいた2017年の4月に、その人に飲みに連れて行ってもらったことをブログに書いていました。(Yさん!ありがとうございます)
その彼と、先週の金曜日(2019年の10月上旬)に大阪梅田で飲みにいきました。2年半ぶりに直接会って話をした。
それが僕には嬉しくて、同じ社会人として(対等にではないけれど一応立場は同じ社会人として)話をすることができた、仕事について伝えられた、そして何よりも人として今を生きている姿を見せることができた。
それだけで僕はこの2年半、この場所に立ち続けてよかったなあと思うのです。
あの頃の「今この瞬間」を思い出す
その人(Yさん)は僕が学生時代にインターンをしていた会社の役員。
Yさんと僕、そしてその会社の人事と、僕が学生時代に一番のギフトをもらった大人の人(下の「5年後につながる出会いがある」という記事に出てくる人)。
4人で飲みに行ったのですが(梅田の塚田農場..!頻出)、僕以外の3人は僕の学生時代に一番関わった会社の人たち。
10月上旬に大阪で半期のキックオフがあり、大阪で合流できました。
僕の学生時代の話にもなり、僕が関わらせてもらっていた就活事業の話が懐かしさを生んでいました。
ああいう時間を共有し、僕も別の場所で大人になり、またこうして再会できるというのは幸せなものです。
その話の流れで、上に書いた「5年後につながる出会いがある」という記事の話をし、その記事をYさんに読んでもらった後に送られてきたメッセージが冒頭に書いた引用でした。
特別な時間を共有している人たちなので、一瞬であの頃の「今この瞬間」の場にワープすることができる。
一瞬であの頃の感情や匂いや景色を思い出すことができる。
普段は別に過去に浸ることはないけれど、あの時あの人はああ言っていたなとか、泣いて笑って頑張っていろんな思いを共有したなとか、そいういう言葉にならないイロイロが文脈の中に含まれていて、自然と言葉が少なくなるけれど、そういう特別な瞬間を共有できる人がいる人生というのは、幸せだなあと思いながら、あの頃は飲めなかったビール一杯(そして2杯目以降はジンジャーエール)を飲んでいました。
ブログを書き続けていて本当に良かった
ついさっき、ふと2017年4月のブログを読み返して、あの時の感情が蘇ってきました。
社会人になったばかりの僕に、社会人の大先輩が見せてくれたこと、伝えてくれたことは僕の中に大切に残っています。
思い返せば、いろんな大人たちが僕にいろんな社会を見せてくれたし、伝えてくれたし、教えてくれたし、語ってくれた。
その一つ一つの積み重ねで今の僕があると思っています。
「自分自身として、何が語れるのか」という問いかけは僕の中に確実に根付いていて、今の僕を作る言葉の一つになっています。
あの時、戦後60年続く渋谷の居酒屋で一緒に熱燗を飲んでくれた姿は、今の僕とYさんだけしかわからない大切な思い出です。
そういう一つ一つを書き綴っていて、本当に良かった。
ブログを書き続けていて、本当に良かった。
こういう一つ一つの言葉がまた、今の僕を作り、いつかの未来を創っていくのだと思う。
改めて、僕は言葉を通して、あの頃の自分に届ける一つ一つを紡ぎたい。
*
2年半ぶりに会ったにも関わらず、そんな時間差なんてないように話してくれたYさんと、その場を作ってくれた人たちに感謝。
あなたたちがいるから、今の僕がいます。
「この人たちとは、自分が大きくなるまでは絶対に仕事はしない」と決めて社会人になりましたが、今はようやく少しは大人になった姿を見せられているでしょうか。
同じ社会人として、同じビジネスパーソンとして話をしてくれたことに感謝。
場所は違いますが、僕は僕なりに楽しく生きてます。
続くご縁に感謝。これからもよろしくお願いします。