マネジメントなんて言ってる時代は終わった。「主体性」ではなく「内発性」を促すための組織づくり

マネジメント・育成, 経営者向け

いろんな組織を見ていて面白いなあと思うのは、「マネジメント」という言葉が横行している組織ほどイケてないなあと感じるところ。

管理職が「私のマネジメント力不足で・・」とかを、さも「っぽく」(しかも、なぜかちょっと嬉しそうに)語っている時点で、すげーしょぼいなあとがっかりしてしまう。

その人に対して「あなたの思うマネジメントって何ですか?」という問いかけをすると、「あれ、あれだけ偉そうに言っていたのに、これだけ?」という答えしか返ってこなくて、がっかりしてしまうことも往往にしてある。

言葉はあれだけれど、本質的なマネジメントとして求められる資質というのは、極めてレベルが高いわけで。
あなたレベルがマネジメントを語るなよ、と言いたくなる人はたくさんいる。

例えば営業会社なんかではよくあるのだけれど、営業畑しか知らない人が、いきなりマネジメントを任されたとて、組織として結果なんて出るわけがない。
(もっというと、「過去にマネージャーを経験していた」ということと、マネジメント能力は、ほとんど関係ない)

スポーツなんかを見ていると、例えば野球の監督をやる資質と、ホームランバッターとして求められる能力と、1番バッターとしての役割に必要な能力は、全く別。

そこには接点もないし、むしろ真逆のことだってあるわけなのだが、なぜかビジネスになるとそこを混同してしまう。日本社会のよくないところなのか?

野球の一流監督になるためには、まずホームランを100本打て!と言っていると同じ状態なのだ。

「主体性」という言葉を「やる気」と混同していないか?

よくある「主体性が大事」という言葉はここ10年で使われ切ってきたのだと思うけれど、「やる気があるように見える」=「主体性がある」では断じてないということ。

例えば、ある人が「本当は嫌だけれど、点数稼ぎのために・・」と考えて、何かに手を挙げたとする。

手を挙げることが良いとか悪いとかそういうことではなくて、本質的にその人の主体性がそこにあるかどうかを見ようとせずに、仕事の流れが変わってしまうということがビジネスシーンではよく起こる。

理由は「やる気がある(ように見える)」というただ1点。

そういう古臭い考え方が、中長期的に見たときに組織の成長を阻害しているのだという事実に気づかなければ、永続的な発展はできないということ。

あなたの周りをざっと見渡してみると、いるでしょ?そういう人。

内発性を育む環境づくりの支援に全力になる

そもそも主体性なんていうのは、「主体性を持て!」と言ったから持つことができるようになるものではない。断じてない。当たり前の話。笑

心理学で「内発的モチベーション」という言葉があるけれど、これは自分の内側からモチベーションを持つこと。

一方で、「外発的モチベーション」というのは、周りの環境によってモチベーションを保つこと。わかりやすいのが、例えば小学生に「次のテストで良い点数を取ったら、ゲームを買ってあげるよ」というのが外発的モチベーション。

ここで僕がすごく感じるのが、「主体性を」とか言っている組織ほど、「内発的」ではなく「外発的モチベーション」を誘発するようにしているということ。

これは矛盾しているわけです。わかるよね?

「主体性を持て!」とハッパをかけるのではなく、内発性を促すべく周りの環境づくりに全力で支援する。それ以外にできることはないのだ。

内発性を外部から持たせることはできない。できるのは環境づくりとサポートだけ。

それでも、本質的に内発性によって何かを生み出していく人は、優秀な組織でも10人中1人か2人くらい。そうでなければ、100人中1人いれば御の字。

そのくらいビジネスの場において「内発性」というのは価値が高い。

内発性というのはもう極めてその人に依存するから、そういう人をちゃんと採用すること。その内発性を全力で、邪魔をしないようにすること。

それだけで組織は勝手に伸びていく。

一時代を築いた会社が伸びたのは、そういう理由。
ちゃんとそれをわかっている企業というのは、採用に命をかけているのはそういう理由なのです。