地方に情報格差が存在するのは、社会に教養がないからである

思うこと

さて。前回書いた記事の続きです。

物事を”相対的に捉える”とは?

筆者の山口氏が論を展開していますが、「いま、何が起こっているのか」を正しく捉えるためには、幅広いバックボーンがが必要になります。

それを教養と称していますが、要は、相対的に物事を比較できる幅を自分の中に持つということです。

著書の中に教育の例が書かれていますが、いま、教育という切り口で世界一であるのはフィンランドです。

自由な教育が素晴らしいと日本国でも謳われており、フィンランドの教育方法を真似る学校や組織も多いですが、実はいまフィンランドで行われている教育は全く真新しいものではなく、むしろ過去の教育方法の深海であるということです。

僕ら日本人が思い描くような教育ーー教室の40人が座り、教師の説明を一斉に聞くスタイルで、学年ごとにカリキュラムが組まれている仕組みーーは、むしろ日本の軍事的思想からくるもので、世界的に見ればこちらが稀であることなのです。

そして世界各国では昔から、日本のそれとは対局的な教育が行われていたわけですが、それを知った上で、今のフィンランドの教育が「過去の教育の発展である」と論じるためには、教養が必要であるというわけです。


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常識を相対化するために

日本社会においても、コミュニティが非常に狭いために、自分たちの常識が全てになってしまっている。

その状態に対し、疑うことを知らずにいることの幸せは定かではありませんが、少なくとも僕は、いろんな世界を知った上でいきたいなと思う。

例えば、僕の知人で名古屋のエリアで、人材会社の新卒事業の立ち上げをやっている人がいます。

彼のミッションは、名古屋を中心とした東海エリアの学生に対しカウンセリング(面談ですね)をし、キャリア相談をしたうえで、適切な企業にマッチングをするというもの。

この前、彼とお茶をした時に言っていたことが非常に印象的だったのですが、「名古屋の学生は、言い方はあれだけれど、とても洗脳しやすいと思われている。何故ならば、トヨタと名前のつくところに入れれば、それが幸せであるという価値観で生きているから」という話です。

いま、名古屋を中心とした東海エリアで新卒事業を圧巻しているのは某・人材企業ですが、僕の目から見てもその企業が賢いとは全く思わないですし、ぶっちゃけいうとそこまで良い企業には思えない。

けれども、そのエリアでは圧倒的ナンバーワンで君臨をしており、その理由が、そのエリアの学生は他と比べて比較的洗脳されやすいから、という理由なわけです。(名古屋にいる学生さんが読んでいたら申し訳ないです、一般的な話を書いています)

要するに、親も家族も親戚も友達も大学の教授も皆、トヨタと名のつく企業に入れれば幸せ。あるいは、公務員。
そう言った極めて狭い世界と価値観で生きているわけで、たとえそれがトヨタの孫請けのさらに請け会社出会ったとしても、「素晴らしいね!」と賞賛される世界であるというのです。

彼ら(その学生たち)に足りないものがあるのだとすれば、それはキャリアに対する情報であり、それを有する大人たちとの出会いの機会であるわけです。

それが「常識を相対化すること」である。僕が言いたいのは、そういうことです。

地方の情報格差のそれは同じである

僕の出身であるとある地方も、極めて情報が乏しい場所でした。

周りにキャリアや仕事について聞ける大人もいないし、求めにいく場所もない。

地方あるあるだと思いますが、それがとても顕著な場所で、僕は大学時代まで過ごしました。

自分たちの常識を疑わず、また、情報を取りに行くこともない。

そんな環境の中で生きていると、適切な判断と思考を持って自分自身の人生を選択することができなくなってしまいます。

そんな環境の中で、少なくとも僕がよかったのは、ちゃんと勉強をする環境にあったこと。そして、本を読んでいたことでした。

教養とは、後になって効いてくるものです。

5教科をきちんとやる環境にあったこと。そして、いろんな本を読むという教育をしてもらったこと。

それが僕の財産であり、だからこそ今僕は、ここにいるのだと思っています。

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翻って、一貫して僕がやりたいことは、発信です。

社会のリアルとか、生き方の選択肢とか、そういうことを、若い人、地方にいる人、あるいは情報格差という社会の中で埋もれてしまっている人たち。そんな人たちに、少しでも何かを届けることができればという思いで、このブログを綴っています。

そんなことを考えながら、気づけばこのブログもかなりの年月が経ってきました。

まだまだ、もっとできることはあるのだと思っています。

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