目の前の仕事に対する「時間」の感覚を持つこと。 〜「生産性」を意識して取り組むということ〜
「時間に対する生産性」という考え方があります。僕は大学時代に仕事の経験を通して学ばせてもらいました。
「時間あたりの」とか「生産性」という言葉自体はもちろん知っていたけれど、じゃあ実際にそれがどういった考え方なのか、ということまでを考える機会、あるいは目の当たりにする機会というのは、実はほとんどないのではと思っています。少なくとも大学生のときには。
そして社会人になったとしても、実際にその思考回路を持った上で仕事をしている人というのは、どのくらいいるんだろう。なんてことを思いつつ。
例えば、時間あたりの生産性という観点で書くと、僕が今まで出会った人の中には、ある仕事に対して、
「これに何時間もかけたんだ、すごいね」
というような人もいます。わりといます。普通に。
(あなたは大学生でしょ、そう簡単に仕事を語るな。と思う人もいらっしゃるはずですが、「仕事」という言葉を使うしかないので、まあその辺りは。)
一方で、同じだけの仕事をやったときに、
「これだけの仕事をやるのに、これだけの時間(あるいは工数)がかかっているよね。それってどうなんだろう?」
とか、
「これこれの時間で着地させるというゴールを自分で持って、時間をコントロールしなければいけないよね」
であったり、
「じゃあ次はそれをこのくらいでやるために、どうしたらいいと思う?」
というような視点で話をする人がいるわけですね。
自分なりのゴールというか、着地させるところ。目標設定でもいい。
それを自分の中できちんと持った上で、目の前のことに取り組むか否かでは、全く違ってくるんですね。
最初の方ではほとんど同じような結果だったとしても、時間を経るごとに目に見えない差がどんどん開いていって、気付いた時にはもう。ということになる。
仕事って、こういうふうな考え方で取り組んでいくんだ。
というようなことを目にすることができたという経験は、すごく大きなものになっていると思うんです。
なぜならば、多くの場合「生産性」という概念をもった上で仕事をする機会は、ないところには全くない。(言い換えれば、あるところにはすごくある、ということです)
時間をコントロールしていくこと。
そういった「調整能力」が社会人では求められるよ、と教えてくれた上司にはすごく感謝です。
と言いつつ、じゃあ自分がいざそれができていたかというと、もう全くですよ。全然。
これからの課題ですね。
学生の間なら、まだいい。
時間はわりとあるし、そこまで考えずともある程度は時間を調整できる。
でも、社会人になると、全く違うレベルで忙しくなっていくわけで。
一つ一つの取り組みに対して自分でデッドを持つじゃあないけれど、しっかりと着地までのラインを引いて、それをコントロールしていくという意識はすごく大切なのだと思っています。
「生産性」と言えば、ちきりんさんが書いた『自分の時間を取り戻そう』という本にも、この時間の生産性という考え方がこれでもかというほど書いてあります。
自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方
- 作者: ちきりん
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/11/25
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ということを思い出したので。もし興味があればぜひ。
ありがとう。