就活は「運」ではありませんよ。悪しからず

2019年1月3日就活概論(考え方), 就活生向け



憧れの会社はある。志望動機はない。

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「就活は準備が9割」というのは本当だと思う。

じゃあ残りの1割は「運」なのかというと、そうではない。

 

就活で出回っている言葉に「落ちたのは、合わなかっただけ、運だよ」というものがありますが、それは嘘です。

言い切りました。

落ちたのは、合わなかったわけではなくて、単に実力不足です。それ以外の何ものでもない。

自分で自分を、あるいは誰かを励ますために「合わなかった」とか「運がなかった」とか言っているのだと思いますが、それは違う。

 

じゃあES(エントリー・シート)や筆記試験で切られた時に「運がなかったんだ」と言えますか?

 

仮に面接に行ったとして。

一次面接や二次面接で落ちる人は、ごまんといます。

就活中にはよく「俺は、どこどこ会社の、何次面接まで言ったんだ」というような話を周りの人がしているのを聞いて、不安になったりする人もいますが、一切気にしなくていい。落ちるときは、余裕で落ちています。

繰り返します。落ちる人というのは、余裕で落とされている。

強いて言えば、最終面接まで行った場合に限っては「惜しかった」というのもわかります。人事面接までで「この人は上げよう」となっているわけですから。

でも、そうでない場合、「惜しかった」とか「運がなかった」とか、そういった言葉は使わないほうがいい。もしあなたが就活生ならば、どんなに悔しくても今の現状をしっかりと見て、受け入れることをしなければ次には進めません。

 

翻って、じゃあお前はどうなんだと聞かれたら、それはもうたくさん落ちましたよ、としか言えない。

本当にたくさん落ちました。

偉そうなことを書きたいわけじゃあなくて、僕も就活を始めるまでは、そして就活を始めてからも、ぶっちゃけ「このラインなら受かるでしょ」くらいに思っている節がありました。

就活を、というか社会を舐めていたんだと思います。(いまは多少はそんなこともなくなりましたが。笑)

でも、落ちる落ちる。本当に落ちます。容赦なく。

「あそこは自分には合わなかったんだ」というふうに自分を慰めてみても、次受けるところもその次も落ちるわけですから、言い訳にすらなりません。もうこれは本当に。

しんどかったのか?と聞かれたら、そうではないのだけれども、やっぱり悔しいですよね。

 

自分自身もそうだし、周りで就活をしていた人を振り返って見ても、やっぱり「自分の現状」をどこまでも客観的に見れている人は受かるし、逆に言えばそうでないときは受からない。

就活をする半年なり1年なり、あるいはそもそも大学時代という期間が、「今の自分」を見ること考えることの時間なのかなと思っています。

今の自分を受け入れるというのは、すごく痛い。

過去の20年間をちゃんと見ることも、大事なのですがすごく痛いです。当たり前ですが、嫌なことも挫折も失敗(のように思えること)も、たくさんあるわけです。

でもそこにきちんと向き合うことをしなければ、成長していけないし、進んでいたとしてもどこかで行き詰まってしまうと。僕はそう思っています。

就活は準備が9割

就活に話を戻すと、やっぱり「準備が9割」というのはそうだと思う。

「残りの1割は運」というのが正しいかということではなくて、その答えを自分なりに作ることが就活だと思っていて。

もし「残りの1割は運」と思うのならば、正々堂々とそう言えるように、9割の準備を120%やることなのではないでしょうか。

準備をやりきって、本番に臨んで、リアルな面接をたくさん経験して、自分なりにやりきったと思えた時に初めて、あなた自身の「就活は、〜〜だと思う」という言葉が生まれるのだと思います。

 

<追伸>

もちろん、人生は就活が全てではない。当たり前ですが。

ほんの、ほんの些細な一面にしか過ぎない。と思っています。

就活をすると決めるのも、ひとつの決断。

しないと決めるのも、勇気ある決断だと思う。

 

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