就活は「運」ではありませんよ。悪しからず
「就活は準備が9割」というのは本当だと思う。
じゃあ残りの1割は「運」なのかというと、そうではない。
就活で出回っている言葉に「落ちたのは、合わなかっただけ、運だよ」というものがありますが、それは嘘です。
言い切りました。
落ちたのは、合わなかったわけではなくて、単に実力不足です。それ以外の何ものでもない。
自分で自分を、あるいは誰かを励ますために「合わなかった」とか「運がなかった」とか言っているのだと思いますが、それは違う。
じゃあES(エントリー・シート)や筆記試験で切られた時に「運がなかったんだ」と言えますか?
仮に面接に行ったとして。
一次面接や二次面接で落ちる人は、ごまんといます。
就活中にはよく「俺は、どこどこ会社の、何次面接まで言ったんだ」というような話を周りの人がしているのを聞いて、不安になったりする人もいますが、一切気にしなくていい。落ちるときは、余裕で落ちています。
繰り返します。落ちる人というのは、余裕で落とされている。
強いて言えば、最終面接まで行った場合に限っては「惜しかった」というのもわかります。人事面接までで「この人は上げよう」となっているわけですから。
でも、そうでない場合、「惜しかった」とか「運がなかった」とか、そういった言葉は使わないほうがいい。もしあなたが就活生ならば、どんなに悔しくても今の現状をしっかりと見て、受け入れることをしなければ次には進めません。
翻って、じゃあお前はどうなんだと聞かれたら、それはもうたくさん落ちましたよ、としか言えない。
本当にたくさん落ちました。
偉そうなことを書きたいわけじゃあなくて、僕も就活を始めるまでは、そして就活を始めてからも、ぶっちゃけ「このラインなら受かるでしょ」くらいに思っている節がありました。
就活を、というか社会を舐めていたんだと思います。(いまは多少はそんなこともなくなりましたが。笑)
でも、落ちる落ちる。本当に落ちます。容赦なく。
「あそこは自分には合わなかったんだ」というふうに自分を慰めてみても、次受けるところもその次も落ちるわけですから、言い訳にすらなりません。もうこれは本当に。
しんどかったのか?と聞かれたら、そうではないのだけれども、やっぱり悔しいですよね。
自分自身もそうだし、周りで就活をしていた人を振り返って見ても、やっぱり「自分の現状」をどこまでも客観的に見れている人は受かるし、逆に言えばそうでないときは受からない。
就活をする半年なり1年なり、あるいはそもそも大学時代という期間が、「今の自分」を見ること考えることの時間なのかなと思っています。
今の自分を受け入れるというのは、すごく痛い。
過去の20年間をちゃんと見ることも、大事なのですがすごく痛いです。当たり前ですが、嫌なことも挫折も失敗(のように思えること)も、たくさんあるわけです。
でもそこにきちんと向き合うことをしなければ、成長していけないし、進んでいたとしてもどこかで行き詰まってしまうと。僕はそう思っています。
就活は準備が9割
就活に話を戻すと、やっぱり「準備が9割」というのはそうだと思う。
「残りの1割は運」というのが正しいかということではなくて、その答えを自分なりに作ることが就活だと思っていて。
もし「残りの1割は運」と思うのならば、正々堂々とそう言えるように、9割の準備を120%やることなのではないでしょうか。
準備をやりきって、本番に臨んで、リアルな面接をたくさん経験して、自分なりにやりきったと思えた時に初めて、あなた自身の「就活は、〜〜だと思う」という言葉が生まれるのだと思います。
<追伸>
もちろん、人生は就活が全てではない。当たり前ですが。
ほんの、ほんの些細な一面にしか過ぎない。と思っています。
就活をすると決めるのも、ひとつの決断。
しないと決めるのも、勇気ある決断だと思う。
【こんな記事も読まれています】