プログラミングと格闘する物理学生の1日。

2019年1月4日日々徒然, 大学時代

さて。

今日はオフ日だったのですが、いまは大学の研究室にいて、慣れないプログラミングと格闘しております。。

僕は物理学科の学生で、そして卒業研究を目前に控えた今、プログラミングは必須な課題なのです、、

大学2年の頃からプログラミングはやっていたのですが(物理学科の講義であるので)、僕はどうも苦手なようです。なんでだろう。

こうしてパソコンに向かってブログを書くことは、書き続けることは、いくらでもできるのに。うん。

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話は変わりますが、今日、僕のブログを引用してもらった記事があって、その内容がとても嬉しかったので!つい書きたくなって書いています。

www.pidakaparuna.space

(すごく素敵なブログです。是非読んでみてください)

その記事の中で、 

自分はありのままでいい、ということ。 ありのままのなかで、なりたい自分になればいい。 背伸びしても別にいいし、嘘ついても別にいい。 大事なのは、自分に正直であること。 自分に正直なひとは、ひとを傷つけないし、ひとに傷つけられない。(そりゃときどき例外はあるけれど)

心屋仁之助さんの言葉を借りたら「あなたが犬を好きなように、私は猫が好き。どっちが上とかないよね」ということ。 いい言葉。

「自分」探しは人に頼るべし! – 0→1000

という風に書いていて。

彼女は「いい言葉」って書いていますが、それこそ書いている文章が「いい言葉」だと言いたい。本当に。うん。

話はちょっと変わりますが、僕が4年間、大学で物理学を学んできた中でわかった一つのことに、「あらゆるものは”相対的”である」ということがあります。

物理学の中に「相対性理論」という学問がありますが、それです。

結局、世の中は相対的ですよ、ということなのですが。(実際は「時間」と「空間」を扱った、かなり難しい分野になります)

ちょっと専門的な話をすると、相対性理論というのは、要は「速度」も「時間」も「物体の”実際の”長さ」も、時と場合によって変わりますよ。つまりはあらゆるものが”相対的”ですよ、ということです。

例えば、速く動いている物体に流れる時間は、遅くなるというものがあります。(長さも、縮む。すごいですよね)

時間が変わるって、すごくないですか?

話を戻すと、この「相対的」という考え方は、物理現象もそうだし、僕ら人間に関してもそうだということ。

上の記事で、

自分とは違う特徴を持っている他の人、他人がいるから自分を認識できるし、自分とは違ういいところを見て、自分のいいところも発見できるし、直したいところを直せるときもある。 こういう、「自分と違うひと」の考え事をすると、「他人がいるから、あなたは自分を認識できる」ということを強く思い出します。

「自分」探しは人に頼るべし! – 0→1000

と書いてあるのですが、そういうことなんだと。

つまりは「自分」という存在は、あくまでも他の誰かがいて、だからこそ認識して、「自分はこういう人なんだ」とか「こういうところがあるんだ」とかを知ることができます。

他の人との対比の中で(比較してどうこうとか、そういことではなくて)、「自分」という存在を見つめていく。

そうすると結局は、自分はあくまでも自分である、というところに行き着くのだろうなと。

なんだか不思議なことを書いているような気もしますが、本質はシンプルなんでしょうね。

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気づけばもうすぐ夜の10時になります。帰ろうか。

夜の大学をお散歩して、帰りますね。

プログラミングどうにかなるまいか。。それはまた明日。

今日買った本も読みたいです。

よい1日をありがとう。

<追伸>

相対性理論をわかりやすい話にすると、僕らの時間の感じ方と同じことです。

例えば、大好きな人と(デートをしたり、お散歩をしたり、話したりして)過ごす1時間はあっという間に過ぎ去って、1時間がたったの5分のように感じられる。

一方で、「早く帰りたいなぁ」なんて感じられるほどつまらない5分は、まるで1時間のように感じられる。

時間は、伸び縮みするのです。

<追伸の追伸>

たった5分。

大切な人にたった5分会うために、片道1時間の道のりを飛んでいくというような時間があっても、いいですね。

なんてことを思っています。