学校は、社会の縮図である。 〜社会で一番大切な「人としての信頼」を教えてくれた恩師の話〜
以前に僕は、こんな記事を書きました。
僕の中学・高校時代の恩師から学んだことです。
僕が今年になって就職活動期間に、人材業界を受けてます。という話をしたときに、その恩師が新卒でリクルートで働いていた、という話を聞いて、衝撃を受けた話です。
リクルート時代に、インテリジェンスの創業者の宇野さんと同期だったという恩師。
今年になるまで、そんなことは一度も話してくれなかった。。
15歳、16歳の頃の僕が彼から学んだ大きな2つのこと。
1つは「お前は”信頼”というものを大切に社会で生きていく人だ」と教わったこと。
もう1つは「学校は社会の縮図である」ということを学びました。
僕はそれまで、ずっと点数主義の社会で生きていた。
地方の中では一応は進学校と呼ばれていた中学・高校で、その中でも難関クラスにいた僕らは、常に偏差値という点数と、順位という成績で自分自身のあり方が決められていました。
そのあり方に疑問を抱いていると同時に、それ以外に生きる術がなく、葛藤の間で揺れながら生きていた僕に、「信頼」の大切さを教えてくれたのはその恩師でした。
社会は、人としての信頼が一番大切なことである、と。
そしてお前は、人から信頼される人間である。
その信頼というものを大切にして、社会で生きていきなさい。
10代の僕に、そのことを教えてくれる大人に出会えたということは、僕にとっては衝撃でした。価値観が全て変わったし、それまで持っていた大人への疑問とか、仕組みへの違和感とか、それらは間違ってなかったと思うことができた。
今の僕の価値観の根っことなる部分を築いたのは、その時代だったなぁと思います。
学校は社会の仕組みの縮図である
もう一つ。
学校は社会の縮図である、ということ。
今なら、なんとなくその意味もわかる気がしますが、その当時は全く意味不明でした。
なにせ、クラスのあり方とかルールとかを、全部自分たちで決めさせられる。しかもそれを押し付けじゃなくて、自分たちで決める?それとも、俺が勝手に決めてもいいの?みたいな。
その中でなんども言われるわけです。
「本当に、君たちはそれでいいの?」とか、「君たちは、どうしたいの?」とか、「じゃあ、それをするためには、どうしたらいい?」とか。
今となっては、本当にリクルートですね。笑
当時はそんなことも知らずに、ただただ必死に考え、それをぶつけていました。でも、それが面白かった。
全てにおいて「自分の意思」を問われる経験を、その時に初めてしたわけです。
それまでも、そしてそれ以降も、誰かが作ったもの、あるいは誰かが求めるものを「上手くやる」ことしか求められなかったわけですから。
妥協はしないという点で、厳しい先生だったはずですが、僕は多くのことを学んだし、とても好きでした。
一方で、そういう先生のやり方に対して、面倒くさいと思う人や、甘くないから嫌だ、という人も、結構いたんですよね。
やっぱり、社会というものはどこまで行っても、そんな風にできているんだなと、いまになって改めてそう思います。
あの時代に、いい経験をすることができたな。
いま僕は割と落ち着いて時間に余裕のある状態で残りの大学生活を過ごしているので、また高校に顔を出しにいきます。
それまでも半年に1回のペースで遊びに行っていましたが。
身体を壊して、高校2年、3年と学校に行くことができなかったあの頃があって。
卒業式も行かずに、残り半分の1年半もの間、学校に通うことなく高校を卒業したんだっけ。
高3の3月に、当時の担任(一応、クラスには所属していた)に親と一緒に挨拶に行った時、わざわざその恩師が声をかけに来てくれた時は、嬉しかったな。ぶっきらぼうだったけれど。
「おめでとう」と一言だけ言って、行ってしまったのだけれど、僕にとっては十分でした。
あれからもう、5年?6年か。
僕は、立派とは言えないかもしれないけれど、それなりに大学生活を送って、来年から社会の扉を開こうとしています。
いつか、恩返しができたら嬉しいな。ありがとう。