村上春樹『職業としての小説家』(文庫本ver )を読んで 〜書かずにはいられない、という喜び〜

2019年1月6日書くということ, 書評(という名の感想文)

先日、僕の尊敬する社会人の方が、僕が持っている本を見て

「この本、面白かった?」

とおっしゃって。

「まだ途中ですが、よかったら差し上げますよ」

と言ったら、

「それはいいから、どんな本だったかブログに感想を書いて」

とのこと。笑

おー、そういわれると、すごく嬉しいな、と思ったので、綴りたいなと。

僕はブログを通して、僕が見えている本の世界観を書いているわけで、そしてそれを僕のブログを読んでくれている方が目にする。そこで、なんか気になるなとか、面白そうだなとか、そう思ってもらえたらすごく嬉しい。

別にその本を買って読もうと思ってもらえなくても、僕の極めて個人的な見解を通してですが、その本の中にある言葉や文章、物語、考え方に触れること自体が、こうして僕が書いていることの最大の喜びだったりするわけです。

もちろん、僕のブログを読んで、興味をもって買ってみること。読もうと思ってもらえるなら、それはまたそれで嬉しい事。

ということに気づかせてもらったので、せっかく僕のブログには「読書」というカテゴリーがあるのだし、これからは1日1冊。とまではいかなくとも、できるだけ僕がいま読んでいる本について、あるいは今まで読んできた本について、僕の思うことをつらつらと書いていきたいなと思っています。わりと膨大な数の本について、かけるのではないかと思っているので、すごく楽しみだったりします。

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僕の大好きな村上春樹氏の本の中でも、特に印象的な本である『職業としての小説家』という本。

もともとはハードカバーで出版されていたものですが、今年の9月末(僕が知ったのは10月最初)に文庫化として再出版されています。

かなり以前に、僕はハードの方の本を読んだ記憶はあるのですが、なにせ幼かったこともあり、僕の中からはその記憶というのは忘れられていました。ただ、僕は村上春樹氏にすごく影響を受けたことは事実で、さっぱりとしているけれど回りくどい表現であったり、古き良き海外の文学に触れるきっかけであったり、そして何よりもそのスタイル。朝起きてコーヒーを入れてパソコンに向かって、自分の世界に入って行くこと。毎日ストイックに一定量の物語を書き続けること、そして毎日10キロのランニングを欠かさず続けること。

僕は将来、小説家にはならないだろうけども、本を書いて生きていきたいという強い確信に似た想いがあるので、そういった書き手としてのスタイルには、すごく憧れに似た感情を抱いています。

小説家というのは、不必要なことをあえて必要とする人種である

僕が先週、大学の生協に足を運んだ時に、大学の2階にある生協の書籍コーナーの一角に、この文庫本が面展開で置かれていました。即買いです。

ちなみに、大学の生協の本コーナーというのは、面白い。置いてある本は少ないのだけれども、少ないからこそ逆に、じっくりと一冊の本を眺めることができて、そしてそれらの本は、20歳そこらの僕らにとって考えるきっかけとなりうる本が置かれていることが多い。特に大学に入った頃は、1日に何回も足を運んでいたなぁという思い出が残っています。

僕がこの本のなかで最も心に残っているのは、

小説家というのは、不必要なことをあえて必要とする人種。

というフレーズ。これを言い切るところが、たまらない。

なぜなら、村上春樹氏が書いている小説も、誰かが書いている物語も、そして書き並べるのはおこがましいのですが、僕がこうして書いているブログというのも、この世の中になくても一向に構わない種のものだったりするわけです。

そして同時に、僕らにとっては欠かせないものであることも事実なわけです。

いうなれば、不必要なことを”あえて”必要とする人種、ということなんですね。それが僕の心にはすごく響きました。

僕自身がなんでこれほどまでに書くことを欲していて、同時に小説を読むことを欲しているのか。その理由はわからないのだけれど、彼が言っていることは、すごくわかるなぁと。

その言葉は、以下のように続きます。

しかし小説家に言わせれば、そういう不必要なところ、回りくどいところにこそ真実・真理がしっかり潜んでいるのだということになります。

と。

ちょっと僕の話をさせてもらうと、僕が幼い頃から一貫していることは、僕という人間はすごく探究心をもっている。向上心とも言えなくもないのだけれども、向上心というよりは、探究心。知りたいという欲求であり、もっと先に触れたい、もっと深いところの世界観に触れてみたい、という欲求なんです。

僕が10代の頃にあれほどサッカーにのめり込んでいたのも、そしてそれがチームスポーツとしてのサッカーではなくて、あくまでも自分自身が納得がいく世界観を見たくてやっていたのは、探究心からくるもので。

物理学科にいるのも、そしてにもかかわらず実社会に足を踏み入れてビジネスをしてみたいというのも、学問を通して本質的なことを知りたい、でも実社会というのはやはり人が作っているものだからこそ社会に出て、この世の中の原理原則であったり、真理を知りたい。そういった欲求から来ているものなんですね。

そして何よりも、僕がこうして日々文章を書き綴っているのも、自分のもっと奥深いところに触れたい、何があるのかわからないところにいってみたい。そういったモチベーションからくるんです。だから、楽しい。

そんな思いがリンクして、彼が言っていることというのは、深いなぁと。彼ら小説家は、物語を書くということを通して、たくさんの回り道をしている。いうなれば、面倒臭いし、不必要に思えてくるし、回りくどいことをいちいちしている。そして、この世の中で最も素晴らしいと思える真理を、探しているんだなと。むしろ真実や真理というのは、そういったところにひっそりと息を潜めていて、掘り出されるのを待っているのかもしれない。そんな風に思えるんです。

どこに向かうかわからないからこそ、書くことはおもしろい

再び僕の話をしますが、どうして僕にとって、これほどまでに「書く」ということが重要なのか。

人と一対一で話すことではなく、集団の中で盛り上がることでもなく、多数に話しかける講演でもなく、なぜ書くことなのか。

それは究極的に、ひとりの世界、自分の世界に入っていく必要があるからなんだと思っていて。そしてそれは、自分の奥深くを探検するようなものなんです。深く深くへ、入っていくこと。行き着く先は、自分でもわからない。書いている自分自身ですらわからなくて。だから、面白いんです。

こうして日々ブログを綴っていて思うことは、間違いなく「これを伝えたい」とか「これを書きたい」と思って、そのワンフレーズをもとに書き始めるのだけれどもーー実際、今回は『職業としての小説家』の文庫本を紹介しようという思って書き始めたーー、それ以外は、どこに向かっているのか、途中でどんな出会いがあるのか、そしてどんなところにたどり着くのか、わからないんです。だからこそ探究心を持ち続けて、進んでいくことができるんです。強い探究心があって、そして書くということは、どこに向かっていくのかわからないもの。だからこそ、面白いんですね。

彼の言葉に、小説家について

書きたい、いや、書かずにはいられない、という人が書く

というものがあります。素敵な響きですね。書かずにはいられない人が、書く。

彼ら小説家というのは、小説家を書き始めたから小説家になったのではなくて、小説家になる前から小説家だったのだと。

彼は若い時に、ずっとジャズ喫茶を経営していた。読書が好きで、そしてジャズが好きだった若かりし頃の村上春樹氏は、そのジャズ喫茶の仕事の中で、ひたすらにお客さんの話を聞き続けていた。ただ聞くのではなくて、色々なことを考えていたんだと思います。それはきっと、小説家としての視線、考え方、感じ方だったのではないでしょうか。(彼は「自分が29歳になるまで、小説家になるなんて思ってもみなかった」と述べていますが)あくまでも僕の仮説ですけれど。

それがある日、突然弾けた。「あ、小説を書こう」って。

彼が小説家になった頃の話も、彼自身の言葉で綴られています。すごく興味深いエピソードだし、どこか励まされるものがあるんです。

小説家として、小説を”書かない”10年間があって、その期間を経て彼は、『職業としての小説家』になったのではないでしょうか。それが今日まで、続いている。それだけのこと。

書かずにはいられない、という喜びを持ちつつ、僕も生きていきたいですね。

ここまで読んでくれて、ありがとう。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

<追伸>

僕が大好きな、彼の小説はもちろん「ノルウェイの森」ですがーーこれは僕が大学生になる前に読んで、すごく影響を受けた本ーー、それ以外にあえてもう一冊、小説ではないロングインタビューの本を紹介します。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)

珍しい、村上春樹氏のインタビュー集です。