東京で生きる選択をするということ。
リアルすぎて、息がつまるような感覚で読んだ記事があります。引用。
東京で生き続けるということ。
僕は、生まれてから20数年もの間、東京ではなくて、いわゆる地方と呼ばれている、今いるこの場所で生きてきました。(地方といえば、日本国内どこをとっても一地方なんだけれども)
もちろん、環境も、居場所も、そして僕自身も、日々移ろってることは事実なんだけれども、同時に一地方であるこの場所で生きてきたこともまた事実なんですね。
僕は、僕自身の郷里というもの、原点がここにあるのだということに、大学に入る頃になって初めて気づきました。というよりも、それまでそんなことを考えたことすらなかった。
僕は10代後半、身体を壊して3年以上ひとりで自分の部屋にいるという時間を過ごしました。その時に心の支えになったのが、本だった。読書を通して、そして自分自身が考えるという時間を持つことを通して、世界は広いということを知ることができたんです。
人は、広い世界を旅して、世界の広さを知るわけではない。むしろ、逆です。閉じ込められて、自分自身の内側を旅して彷徨って、とそんなことを繰り返して初めて、世界の広さを知ることができる。
僕は初めて、そのことを経験することができました。そして、それに気づいたのは、10代が終わろうとしていた頃、大学に入る直前でした。
僕は大学に入った後、初めて自分の生まれ育った県というものを認識しました。別に嫌いだったとか、そういうことではなくて、本当に初めて客観的に自分の生まれた土地というものを認識したんです。それまでは、考えたことすら、なかったのですから。
同時に、自県の歴史や文化、背景というものを学び始めたのが、大学2年の終わり頃から大学3年にかけて。
その約2年から3年もの間に、初めて足を運ぶ場所というのが、あまりにも多すぎた。20年以上住んでいるのに、大学からこの県に来た人のほうが、僕なんかよりもよっぽど詳しい。加えて、初めて客観的に自県の経済を考えるというきっかけが重なって、僕はこの土地とここに住んでいる人々のことについてーひいてはそれが自分を見つめることに繋がるのだけれどー知りたいと思い、そして学び、考えるようになりました。
上で引用したブログの筆者は、27年間東京で育ったと書いてあります。
そのストーリーは、彼女にしか書き綴れないものであろうし、そして僕はその物語にすごく興味を持っている。そんな自分がいることに驚きつつも、もっといろんな人の、いろんな物語に触れたいなと、そんなふうに思っています。
東京という街で27年間生きるということがどれほどの意味を持つのか。それは人それぞれではあるのだけれど、少なくとも僕にとってその事実は、すごく壮大なものなんだろうなと想像するんです。東京ならではの世知辛さというのは、絶対にある。孤独であったり、寂しさ、冷たさ、人間関係といった類のものなのかもしれない。
一方で、東京でしか見れない景色や、世界観があるというのも、きっとまた事実なんだと。
僕はその両方に触れたいから、少なくとも今の僕はその両方があると知った上で、東京に行くという決断をしたんだと思っています。
どこまでいっても、僕が帰ってくる場所は、この故郷であることは変わらないのだろうけど。20年以上が経ち、やっと僕はこの場所を、自分の郷里を、ちょっとだけ好きになることができました。感謝。
それは、いろいろなところに連れていってくれた人がいたからで、そして、海の綺麗さとか、人の温もりとか、星の綺麗さとか、そういったものをひとつひとつ伝えてくれた人がいるから。そんなところに目を向けることすら、忘れていた自分がいて。
東京がどうとかではなくて、どこにいっても、愛のある、優しい人間でありたいですね。目の前の人を大切にして、「ありがとう」ときちんと言葉にして伝えて、暖かさをもって生きて。きっと、できる。
僕が感じたリアルを綴った以前の記事を思い出したので、引用です。
ひとつひとつの情景が、瞼に焼き付いています。
ありがとう。