自分で「楽しさ」を生み出すスタンスの大切さ。
大人の少年で、僕はありたい。
これは、僕が大切にしている言葉です。
ずっと、あの頃のように、いろんな世界に憧れて、純粋に好奇心を持って、真っ直ぐに生きる。
そんな少年のような大人になりたいなと。
子どもの頃はさ、自分ひとりでイロイロ楽しめたと思うのです。たとえば、画用紙に絵を描いたり、絵本を読んだり。他の家族がどうのこうのとかじゃなく、ただただただ、単に自分が楽しいからっていうスタンスって大事だと思うのです。自分で「楽しさ」を生み出しているってスタンスは大切。
— マヤ暦|神聖暦ツォルキン (@mayarekibiz) September 28, 2016
このTwitterでマヤ暦さんが語っているのは、まさしくそういうことなんじゃないかと。すごく心に響いたので、引用。
僕は一人っ子で育ったので、かつ、幼い頃から人と遊ぶよりは一人で遊ぶ方が好きな子どもだったので、あの頃はそうやって純粋に自分自身の「楽しさ」を追い求め続けていたなぁと。これを読んで、改めてそんなことを考えていました。
例えば僕がサッカーを始めたのは小4のときでしたが、それ以降、サッカーという知的探究心を刺激し続けるスポーツに没頭していた。
毎日毎日、ひたすらにボールを追いかけ続けていましたが、一番楽しかったのは、一人でボールを蹴ることでした。笑
サッカーというのはチームスポーツであることは間違いないのですが、僕にとって一番楽しいサッカーは、一人でボールを蹴ることだった。小学校も、中学校も、練習がない日の放課後は、ずっと一人でボールを蹴っていて、ああでもない、こうでもない、今のはかっこいい!なんてことを、ひたすらに繰り返していました。
これまでの僕にとって、自分で生み出す「楽しさ」は、サッカーと、音楽、そして読書でした。
サッカーができなくなった今では、音楽と、読書。そして最大の楽しみは「書くこと」です。今こうして文章を書き綴っているように。
そんな中で僕は、大学時代になってふと、周りの景色の美しさに気づくまで、つまりは例えば、歩いている時に空を見上げて、ああ今日は空が青いな、綺麗だなって思ったり、あるいは道端の花や木が元気だな、素敵だなって思ったり、海に行って波の音を聞いて癒されたり、星を見て心が洗われて自然に涙が溢れてきたり、人の温もりに触れてホッとしたり。いつの間にか、そんなことに目を向けることすら、忘れていました。
そう言った生活の中に溢れている、ちょっとした「楽しさ」だったり「きゅん」と思うことだったりに気づける心は、幼い頃に誰しもが持っていた心だと思うんです。
僕は、そんなことすら忘れたまま、気がつけば大人になっていた。
そして運のいいことに、大学時代に、それに気づかせてもらうことができました。出会いですね。歩いている時に風を感じてみたり、顔を上げてみたり。そう言った感性が、僕が僕らしくいれる理由の一つなんだなぁと。
そう言った目に見えない大切なものを大切に、生きてありたい。
ありがとう。
<追伸>
こっちもお気に入りです。
見た目は大人(おっさん)、頭脳(の柔らかさ)は子ども、その名はYuttie! https://t.co/Q4kKtSWBgb
— マヤ暦|神聖暦ツォルキン (@mayarekibiz) 2016年9月28日
感謝。