運転の丁寧さは、夢の大きさ。
僕が車の中でいつも思うことは、運転をする人の内側にあるものが、運転をするという、すべての主導権を握る瞬間に、すべて出てくるということ。
普段はおとなしい人が、ハンドルを握った瞬間に豹変したならば、ハンドルを握っている人が、本当のその人なんです。
普段押さえつけられていて、激しい自分を出せないからこそ、運転という場でそれが出てくる。
例えば、過剰な割り込みをしてみたり、些細なことでクラクションを連打するというのは、もともとその人の中にそういう気質があるんだ、ということなんです。
運転の丁寧さは、夢の大きさです。
どれだけ、自分の命に感謝しているかということ。
本当に叶えたい夢があって、日々その夢に挑戦している人は、激しい運転をするはずがない。
運転という場は、実はすごく死と隣り合わせの瞬間で、いつ、何があっても不思議ではない。
だからこそ、最大限にそのリスクを下げる。
それは、自分の今に感謝をしていて、その根っこには、自分の命に対する感謝の気持ちがあって、そして自分の夢を大切にしているからなんです。
隣に誰かを乗せて運転をするというのは、すごくいい時間であると同時に、すごく怖いもの。
人の命を預かっている、握っているという感覚が、僕の中にはずっとどこかにあるんですね。
すごく怖いし、だからこそ、すごく気をつかうし、ということです。
僕は、ドライブがすごく好き。
自分1人になれる時間と空間で、ひたすらに車を走らせながら考え事をする時間は、大切な息抜きの時間です。
そしてそれと同じくらい、否、それ以上に、誰かを隣に乗せて一緒に車を走らせるという時間が好きで。
隣にいて、向かい合うわけじゃないけれど、同じ景色を見て、話をしたり、あるいは何も話さずにただ時間を共有したり。
そんな時間は、一緒にご飯を食べるとか、そのレベルと同じくらい、大切な人としかできないものなんですね。
自分の夢を大切にするということは、日々の瞬間瞬間を大切にするということなんですね。
今、この瞬間が、僕の夢。
ありがとう。