運転の丁寧さは、夢の大きさ。

2019年1月6日日々徒然

僕が車の中でいつも思うことは、運転をする人の内側にあるものが、運転をするという、すべての主導権を握る瞬間に、すべて出てくるということ。

普段はおとなしい人が、ハンドルを握った瞬間に豹変したならば、ハンドルを握っている人が、本当のその人なんです。

普段押さえつけられていて、激しい自分を出せないからこそ、運転という場でそれが出てくる。

例えば、過剰な割り込みをしてみたり、些細なことでクラクションを連打するというのは、もともとその人の中にそういう気質があるんだ、ということなんです。

運転の丁寧さは、夢の大きさです。

どれだけ、自分の命に感謝しているかということ。

本当に叶えたい夢があって、日々その夢に挑戦している人は、激しい運転をするはずがない。

運転という場は、実はすごく死と隣り合わせの瞬間で、いつ、何があっても不思議ではない。

だからこそ、最大限にそのリスクを下げる。

それは、自分の今に感謝をしていて、その根っこには、自分の命に対する感謝の気持ちがあって、そして自分の夢を大切にしているからなんです。

隣に誰かを乗せて運転をするというのは、すごくいい時間であると同時に、すごく怖いもの。

人の命を預かっている、握っているという感覚が、僕の中にはずっとどこかにあるんですね。

すごく怖いし、だからこそ、すごく気をつかうし、ということです。

僕は、ドライブがすごく好き。

自分1人になれる時間と空間で、ひたすらに車を走らせながら考え事をする時間は、大切な息抜きの時間です。

そしてそれと同じくらい、否、それ以上に、誰かを隣に乗せて一緒に車を走らせるという時間が好きで。

隣にいて、向かい合うわけじゃないけれど、同じ景色を見て、話をしたり、あるいは何も話さずにただ時間を共有したり。

そんな時間は、一緒にご飯を食べるとか、そのレベルと同じくらい、大切な人としかできないものなんですね。

自分の夢を大切にするということは、日々の瞬間瞬間を大切にするということなんですね。

今、この瞬間が、僕の夢。

ありがとう。