僕がブログを書いている理由。誰に向けて、書き続けているのだろうか?

2018年9月16日日々徒然, 書くということ

去年の今日(正確には昨日)書き綴ったブログです。

あのとき夢見た場所は、いまここにある。

あのときに夢見た場所に、僕は今、立っているのだと思わされる日々です。

まだ見ぬ世界。行ったことのない街。出会ったことのない人。

そんなところにいる僕は、時々、夢見心地になるけれど、しっかりと自分の足で立って、一歩ずつ歩いているんだと。

この気持ちは忘れずにありたいなと思うんです。

僕はなぜ、言葉を書くのか

もう一つ。1年前の今日に書いた、記事です。

なぜ、僕は言葉を書き続けているんだろうと。

知らない街の誰かが、書いた文章を読んでくれるというしあわせ。

あのときはわからずにいたこと。ぼんやりとは自分の中にあったけれど、きちんと言葉にすることができなかったもの。

今なら、わかる気がするんです。

僕がこのブログを誰に向けて書き続けているのかといえば、10代の僕自身に向けてなんですね。

狭い世界しか知らず、頼れる大人が周りにおらず、ずっと、もどかしさとフラストレーションを感じていた、10代の僕です。

飛び出したくて、広い世界に行きたくて、もっと挑戦したくて、成功したくて、自分の人生を生きたいと、死ぬほど渇望した日々。

一方で、社会のリアルも、裏側も、大人の世界も、何一つわからない自分がいて、常に乾いた状態で、求め続けていたと思うんです。

そんな自分であったとしても、そんな環境であったとしても、全く違う世界に行くことができる。

文章一つで、言葉一つで、人生が変わるんです。

何かのきっかけで、リアルに触れ、思考するということを知り、知らなかった情報や知識を求めることができる。

例え、地方に生まれたとしても、周りの大人が本を読んだり思索をしたりせずとも、社会のリアルを教えてくれずとも、自分自身で手にすることができる。

そんな、何かのきっかけになるようなことを、書き綴ってありたい。発信してありたい。届けていきたい。

きっとそれが、僕がずっとやりたいと思っていたこと。そのひとつとして、ブログを書き続けてきたのだと、今ならそう思えます。

人生って、不思議ですね。

あの頃に思い描いていた場所が、どこか懐かしく感じるんです。

今日の夜は、社内のチームでご飯に行ってきました。

いま、夜中の1時を過ぎている中で、このブログを書き綴っています。

今日は、そんな気分なのかもしれません。もう、眠ります。