大学時代は1つのことに没頭できる最後の時代。〜「人生もエネルギー保存則」である。自分のエネルギーを、何に注ぐのか〜
物理には、「エネルギー保存則」なるものがあります。
これは、全てのエネルギーを足し合わせたものは一定で、その総量は常に保存しますよ、という意味です。
例えば、物を高いところから落とします。
手を放すときは、物体の「位置エネルギー」が最大で、「運動エネルギー」はゼロです。
落下するにつれ、「位置エネルギー」は小さくなります。
逆に「運動エネルギー」は大きくなっていきます。
だんだん加速している状態です。
落下点では、「位置エネルギー」はゼロです。
「運動エネルギー」は最大になります。
つまり速さが最大、ということです。
落下の過程において、手を放す位置でも、最下点でも、あるいは落下中のどの位置でも、「位置エネルギー」と「運動エネルギー」の和は常に一定、ということです。
以上が「エネルギー保存則」の簡単な考え方です。
僕はこの保存則は、あらゆるところに成り立つと感じています。
自分の持っているエネルギーは、うまく分配しないといけません。
分散させてはいけないのです。
人間、よほど多くのエネルギーがないと、一度にたくさんのことはできません。
特に僕は不器用なので、今自分ができること、すべきことにエネルギーを集中させたい。
いま、自分は何にエネルギーを注ぐべきなのか、ということです。
例えば、大学時代は、いろんな経験をする時期だ、という人がいます。
それは正解。
一方で、大学時代は、一つのことに没頭する経験をする時期だ、という人もいます。
それも正解。
どちらも正解ではあるのですが、自分という資源の中に眠っているエネルギーというのは、変わらない。
100のエネルギーがあるならば、5つの物事に対して20ずつエネルギーを分配するというのもひとつ。
1つの物事に対して100のエネルギーを注ぐというのも、ひとつです。
どちらが上とか下とかそういうことではなくて、あなたの生き方として、それを選びましょうということです。
僕は今、いろんなことをやっていると言われます。
大学の勉強をして、成績もわりによくて、教職免許もとって、就職活動をして、その期間インターンシップをやって、大学の外で勉強会をやって、諸々、みたいな。
いまこうして並べてみると、確かにいろんなことを経験している。いろんなことを経験はしているんだけれど、それは本当にこの1年半くらいのことで、それまではずっと1つのことを突き詰めていくということをしていました。
否、確かにいまはいろんなことをやっているけれど、僕の感覚的には、1つのことを突き詰めている。そのことは変わらない。
何をしているのかというと、自分自身の探究心の赴くままに、”何か”を突き詰めていこうとしている。
それは僕が10代の頃から、変わらないものだと思っています。
いろいろなことを経験するとそれが糧になるから、大学時代はいろんなことを経験しなさい、というのはすごく正しい。
僕自身、いろんな経験が自分の成長の糧になっているし、いろんな人と出会えたことは、感謝しています。
多様な経験をすることの良さを踏まえた上で、あえて、それでも僕は、大学時代は1つのことに100のエネルギーを注ぐ、という経験をしたほうがいいと思っています。
大学時代は1つのことに没頭できる最後の時代
多くの大学生が、いろいろなことにそのエネルギーを分散させてしまっている。
僕は大学に入る前から大学生活に対してそう思っていたし、実際に大学に入ってみても、それは正しかった。
大学の講義、サークル、アルバイト、飲み会、遊び、諸々。
就活があるから、留学をしなきゃ、インターンシップをしなきゃ、とかいう人も多い。
いまの大学生というのは、本当にいろいろなことをやっている。
その中で、FacebookやTwitter、LINEといったSNSで常時誰かと繋がっていて、やり取りをしていて、常にスマホに通知が入る。いまはそんな時代です。
若い時代にもっている溢れ出るエネルギーがあるからこそ、いろんなことに手を出せる。
でも、言い換えると、それはエネルギーの浪費になってしまう。と僕は思っています。
僕自身がそういう生活をしていないか、と言われると、確かに僕もそう。
僕もそうなんだけれども、それでもやっぱり、僕は何か1つのことに没頭する時間というのが、4年間なのだと。
僕は高校2年の時から学校に通えず、浪人をして大学に入りました。
大学に入ってからも2年生までは、朝から晩まで図書館にこもりっきりだった。
10代後半からのその数年間もの間ずっと、自分自身はこんなもんじゃない、という葛藤を抱えながら、でも何者にもなれない自分がいるという現実との間の中で、ひたすら悶々とする時代を過ごしていました。
すごく苦しい時代だったんだけれども、その時の猛烈なエネルギーは、「学問」をすることという1つのことに、すべて注がれていました。
否、自分の内側から溢れてくる他に行き場のないエネルギーがあって、それがひたすらに机に向かっていたんですね。
まさに怨念が込められた暗黒の時代です。
そして振り返ってみると、その時代が、人間的に最も成長した時代だった。
それはもう間違いのないものだと思っています。
大学時代の後半に経験した多様な出会いと経験も、もちろん自身の成長に繋がっているのだけれど、それはそれまでのものとは少し種類が異なっていて、
それまでの時代の成長というのは、成熟というか、煮え切らないけれど煮えたぎっているズブズブのエネルギーによる、葛藤という成長。
そこから先の時代で経験したものは、ずっと押さえつけられていたその葛藤が社会に触れて、ポンと弾けたもので、いわゆる社会人的な要素としての成長でした。
どちらがいいとかそういう話ではないけれども、僕はやっぱり、大学時代というのは、何か1つのことに没頭して、押さえつけらるような経験だったり、何者にもなれない自分自身との葛藤だったり、そういうことを経験する時代なのかなと思っています。
大学時代は、何か1つの物事に没頭できる、最後の時間だからです。
そしてそれは別に大学時代に限った話ではなくて、10代でも20代でも、いつでもいい。でも、若いうちに、そうやって何かに没頭する時期というのは、絶対にあったほうがいいと思っています。
「大学時代は、人生の夏休み」という言葉があるけれど、そんなことは決してなくて、大学時代や若い時代に経験する青春時代というのは、グレーの時代であってもいい。
暗黒の青春時代があってもいいじゃないか、と僕は思っています。
大学時代の4年間が人生の中で一番よかったな、楽しかったな、またあの頃に戻れたらな。
君たち、人生の中で大学時代が一番いい時代なんだからね。その先なんて、楽しい事なんてないんだから、君たちが羨ましいよ。
なんて言うような大人には、絶対なりたくない。
僕はそう思っています。
大学時代を人生の夏休みとして過ごすのではなくて、その先の人生を、いいものにするために、今があるんです。思い出作りの時間じゃあない。
悶々と過ごす時代。いいじゃないですか。
そうやって葛藤し続けることのできる人が、きっと。
と僕は思っています。
ふと、物理の話を書き始めたと思っていたら、気付いたら自分の感情が溢れてきて、ここまで書いていました。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれて、ありがとう。