大学時代にやっておきたいことは、「才能」の壁にぶつかる経験である 〜挫折経験のコレクションをしよう〜
大学時代にやっておくべきこと。
それは、「自分はこの土俵で勝負してはいけない」と心の底から思える経験をすることです。
つまり、「才能」の壁にぶち当たる経験、ということです。
それは勉強でもいいし、部活でもサークルでもいい。
あるいは、インターンシップなどの課外活動の経験でもいい。
なんでもいいから、本気になってぶつかってみて、それでも絶対に勝てない世界がある、という挫折経験をすること。
学生時代にどれだけ、挫折経験のコレクションをすることができたかが、その人のポテンシャルになるんですね。
研究者の世界には、24時間365日一つのことを考え続けられる変態がいる
僕は大学は物理学科です。
世の中からは、なにをしているのか、さっぱり分からないと思われる世界。
例えば、宇宙であったり、素粒子であったり、難しそうな数式をひたすらこねくり回している、というイメージ。
例えば僕が専門で学んでいるのは、「物性理論分野」と言って、物の性質を、理論的に考える研究分野です。
でも、そんな話をしたところで、多くの人にとってはどうでもいいものであることは事実。
にもかかわらず、その研究に命を燃やしている人が、世界中にたくさんいます。
特に理系の分野に進んだ人は実感すると思いますが、物理とか数学とかいう世界は、本当に変態の集まりです。
24時間、365日、しかもそれを何年間も、同じ物理を考えていられる人がたくさんいます。
生活の全てが物理だったり、数学だったりする人たちがいる世界。
僕は大学に入って初めて、その世界に触れることができた。
変態みたいにすごい教授陣がたくさんいて、それだけではなく、運のいいことに、同級生にも先輩にもそんな人がいる中で、僕は大学生活をスタートさせることができました。
「才能」というのは、継続力のことです。
僕も、中学校の頃から、大学は物理学科に行くと決めていました。
どこの大学でも構わないから、物理学科に行くと。
実際に国立大学の物理学科に入り、必死で勉強をし、成績もよかった。
でも、それだけ本気で打ち込んだからこそ、「才能」というものに触れた瞬間、ああ自分の土俵はここではない、と言うものがあっさり入ってきました。
僕は大学の物理学科に入って初めて、本物の「才能」に触れるという、貴重な経験をすることができたわけです。
自分の勝負すべき土俵はここではない、
という感覚は、わかる人にしか分からないと思っています。
理屈ではなくて、感覚的にすっと入ってくるもの。
僕は大学時代で一つ、大きな財産を手にすることできました。
時間を忘れて夢中になった経験はなにか思い出そう
僕は、誰にでも「才能」というものがあると思っています。
その才能を早く見つけて、早い時期から磨くことができる人がいる一方で、
自分の才能に気づかないまま、あるいは「自分には才能がない」と思い込んで、他人の才能に憧れたまま一生を終える人もたくさんいます。
一つヒントとして僕が考えていることは、20歳までの間に、時間を忘れて夢中になった経験の中に、あなたの才能の断片が眠っているということです。
才能の塊すべてが丸々と眠っていることは、多分かなり珍しい。
でも、才能の断片は、必ずあなたが夢中になってきたものの中に眠っているはずです。
時間を忘れて夢中になったことというのは、言い換えると「放っておいたら、やってしまうこと」でもあります。
例えば、気付いたら何かに落書きをしていた。絵を描いていた。
それはもう、立派な才能です。
仮に、画家としての才能がなかったとしても、絵を描くことに対して時間をいくらでも費やすことができるというのは、明らかに才能なんですね。
仮にその人がサラリーマンをするとすれば、絵を描くこと、あるいはイラストを描くことを、今やっている仕事に関連づけるということをすることで、その人生は自分の才能を活かした人生になるのだと思います。
本屋やビデオ屋さんに勤めているのであれば、その才能を活かして、本やビデオのポップを描く。
あるいは、営業職に就いている人であれば、営業に回った取引先に対して、お礼状に簡単なイラストを添えてプレゼントする、とか。
自分の才能、継続して熱中できるものを見つけて、それをできるだけ人生にリンクさせていくこと。
それが少しずつ繋がっていく先には、本当の意味で「生きていてよかった」と思える瞬間が繋がっていく。
僕はそう思います。
僕はありがたいことに、上で挙げた物理の世界や、勉強の分野意外にも、大学時代にたくさんの挫折経験をすることができた。
それらが今の僕を作っている、大きな価値観です。
それはまた次の記事に書いていこうと思います。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
(2018年1月追記)yuto.hatenadiary.jp