社会の扉を開けるための切符は、現実を受容する「勇気」。〜”分を知る”という大切さ〜
大学生として同世代の就職活動を見る経験を多くする中で、「分を知る」ということの大切さを実感します。
分を知る。
それは、夢を持つなとか、プライドを持つなとかいうことではなくて、むしろそれと対極にあるものだと僕は思っています。
否。夢を叶えるために、プライドを持つために、分を知るということが大切だと思っています。
なぜなら、全ては現実からしか出発できないからです。
夢を叶えるためには、現実を受容することから始めなければ、何にもならない。
と僕は思っています。
僕は冷たいのかもしれません。冷たいと言われることも多い。
でも一方で、愛情深いと言われることもある。
自分の中には、泥臭さと、シビアさが共存しているんですね。
就職活動を通して、自分自身がいろいろな価値観に触れる中で感じたこと。
やっぱり、親や教師の言うままに、大企業とか人気企業ランキングとかから順番に受ける人は多くても、受からない。
受かるはずがないんです。自分の生き方ではないからです。
就職活動というのは、22年間の生き方の結果です。
就活を始めた数ヶ月の頑張りでどうにかなるものでは決してない。
大学時代の4年間でひっくり返るものでもない。
厳しいようですが、これが現実です。
もちろん、大学時代の4年間というのは、それまで培ってきたものを更に磨く時間。
その4年間という貴重な時間は、絶対に必要。
だからと言って、18年間のんべんだらりと生きてきた人が、大学時代の数年間を頑張ったところで、どうにもならない世界があるというのもまた事実。
だからこそ、今の自分自身をどれだけメタ認知することができ、客観的に自己分析をすることができるか。
いまの現実を受容する勇気があるか否か。
虚勢はいらないし、そんなものが通用するほど、社会は甘くない。
大切なのは「勇気」だと思います。
社会の扉を開けるための切符。
勇気を持って今までの自分のあり方を受容することができた時から、社会のスタートラインに立てるのだと思います。
今まで何を頑張ってきたのかすら分からない人へのメッセージ
昔の自分への戒めも込めて。
こんなはずではなかった。と悶々としている君へ。
今まで頑張ってきたものはなんだろう?本気で考えても分からないというあなた。
私はこれを頑張ってきました。
笑顔で堂々と自分の頑張ってきたものを語ることが、就職活動ではありません。
コンプレックスの塊で、誰よりも尖っていたあの頃。
そしてあなたが今までくぐり抜けてきた火の粉。
自分は何者なのか、という不安を悶々と抱えて、それでも必死にもがいてきた時間。
何者にもなれない恐怖と、現実との間で揺れている日々。
その22年間が、あなたが本当のあなたである所以だと、僕は思います。
誰にでも言えるようなことではなくて。
あなたしか経験しておらず、あなたにしか分からない感覚。
それをあなたの言葉で伝える。
まっすぐに。嘘偽りなく。素直に。
僕が綴っていることの意味がわかった時は、必ず結果が出ているはずです。
場所も、年齢も、年数も関係ない。
大学名も、大学でしてきたことの大きさも、1ミリも関係ない。
僕が保証します。
がんばれ。
共に咲きましょう。
ありがとう。