【就活体験記】役員に大目玉を食らって、炎上した事件。

2018年10月27日就活生向け, 体験記



憧れの会社はある。志望動機はない。

憧れの会社はある。志望動機はない。

 

前回に引き続き、ここでは某大手人材企業を受けた時の話を綴っていきます。

前回は、「君、うちに合わないと思うよ」と言われ続けながらも役員面接まで進んだ話を書きました。

 今回は、その役員面接での話を。

僕の価値観を180度変えた、執行役員。

僕は面接において、1度も緊張したことがないのですが、さすがにこの時は、緊張とはちょっと違うんだけれども、武者震いに似た、身体の内側が熱くなる感覚を持って面接に臨んでいました。

というのも、憧れていた企業の本社の中でも、意味不明なほどに入り組んだ先にある最終面接室での選考で、かつ、この大企業の舵取りをしている役員が僕の面接官だったからです。

さすがに、オーラというか、雰囲気というか、今まで会ってきた人とは次元が違う、、と思わされる人でした。たまらない武者震いですよね。

 

後から知った話ですが、その面接官は、いま僕がインターンシップをしている企業の外部役員の方(この人もすごい人。大変お世話になっています)の元上司であり、かつあれだけの規模感の企業のHR部門の舵取りをしている、という半端ない方で。

検索したら名前が出てくるし。うん。本当に貴重な機会でした。

 

切れ者+重圧感

という印象の面接官とテーブルを挟んで一対一で対峙した感覚は、僕の約半年の就活の中でも、一番強く心に残っている情景です。

1時間くらいの面接でしたが、最初の半分は僕が質問に答え、相手はそれを掘り下げていく。残りの半分は、逆にその方が野望と、ビジョンを語ってくれました。

 

『我々が、日本の人事部になる』

 

もうね、衝撃的な一言です。言葉自体は、知っていました。有名な言葉ですから。でも、見ている世界観が違いすぎで、怖くなるくらいでした。

その方に言われたこと。

「君がいまやっていることは、ひとつ有意義なことではある。そうやって一つ一つ解きほぐしていくことは、すごく大切であると思うからこそ、我々も目の前の小さなことからやっている。

一方で、君がやっていることをやりきった先に、日本は何ら変わらない。意味がないとは言わないけれど、大きく価値あるものではない。

目の前のことをやりつつも、マクロの視点で、社会全体に対してずっと残る価値あるものを提供すること。その2つの視点を持ち、かつ実行しているのが我々である。」

 

と。ぐうの音も出ませんでした。加えて、いろいろなパーツの具体例を出され、それに対する有効な手段を列挙しつつ、言われたこと。

「いま挙げたことのように、すべての人、あるいは企業には、もっとも価値発揮のできる場所や役割がある。その仕組みを作っていくのが我々である」と。

 

『すべての人と企業を、適材適所に、再配置する。そのために我々が、日本の頭脳になる。』

『世界に対して日本を一つの組織だと考えた時、我々が、日本の人事部になる』

 

今思い返して書き綴っているだけでも、身体中に電流が走るくらい、衝撃的な言葉でした。

 

これに加えて、あまり詳しくは書けないですが、今後10年を見据えたIT戦略についても語ってくれました。

この人たちは、神の視点のように、ビジネスを捉えているんだな、というのが印象。あくまで、我々が作る側であって、その他の圧倒的多くの他者はその恩恵を受ける立場である、というのを崩さない強固な姿勢です。

 

そして僕は、それをおかしいと思った。そこに違和感を持ちました。

正しいか間違っているかはわからないし、それを決めることはできない。けれど、このまま彼らが想う世界を作り出した先に、本当にそこに愛はあるんだろうか、と。

 

だからこそ、僕はその企業の描く未来を見てみたいと思ったし、そこに行く過程に触れたいと。そこに違和感を持った人間がいるという事実が、大切なんだと。強くそう感じました。

 

その話の過程も踏まえて、僕自身の夢を語った。

「僕は将来、本を書いて、発信者として社会を変えるんだ」と。

その未来は決まっていて、だからこそ20代、そして30代は、ビジネスをするんですと。そしてそのビジネスは、「人」に直接的に関わることで、その仕組みを作る側として、いろんな経験をしたい。言うなれば、ビジネスの本質に触れたいんだと。その先に、僕の想い描いている社会があると考えている、という話をしました。

 

その語りに対して、すごく怒られた。というのが僕の中で衝撃的な事実です。

お前は、何もわかっていない、と。

本を書くのも、社会に何かを発信するのも、それはそれでいい。

けれども、たかだか10年、20年ビジネスをしたくらいで、その本質に近づけることはないんだと。そんなに甘いと思うな、と。

一生かかっても成し遂げれないものがあって、そこに対して命を賭している人たちがこれだけいて。40代や50代になっていくと、責任も、人の人生も背負うことになる。自分だけの人生ではなくなって、簡単には抜けらない世界もそこにはあるのだと。その先に一体どれだけ社会が変わったのか?何を成し遂げたのか?お前はそんなものでいいのか、と。

 

なるほど。なぜに、僕は面接の場で自分の夢を怒られなければならないんだ。言っていることは正しいけれど、この人は何もわかっていない、、

仮にあなたが言った世界が少しずつ実現されたとして、それで社会は良くなっているのですか?IT化もいいし、AIもいい。でも、本当にその未来に、愛はありますか。人は、より良い社会を生きていますか。あなたは本当にそれを成し遂げたいんですか?と。

今の僕は、それが正しいかどうかなんて、わからない。けれど、その未来に共感と反感を持っているからこそ、その世界を見てみたいんだと。

 

面接官に最も怒られた選考の先に

僕は、初めて、目の前のこの人をぶっ飛ばしたいと思うほどの衝動を覚えました。怒りではない、なんだろう。真剣にぶつかりたい、と思ったという方が正しいでしょうか。

いま思い返すと、本当に不思議な時間で。

あの1時間で、僕の価値観は大きく変わりました。変わったというよりは、殻が何重にも渡って破けて、自分の枠が広くなった、という感覚。

 

何度目かはわからないけれど、絶対に落ちたと思いました。

そして、その面接当日に、役員面接通過の連絡がきました。

 

自分のことを、すごく嫌な就活生だな、、と思いつつ、でも、思ったことは曲げられないし、それはしょうがない。

後日、僕は再度本社に最終面談に呼ばれました。

なんで役員面接をパスして、面談があるのかは不明でしたが、実はその後に、2度、面談に呼ばれた。

最初の面談は、人事部長?みたいな方で、意思確認。

1回目は午前中の面談だったのですが、いろいろ話した後に、「急ではあるが、もう一度、午後にきてくれ」と言われ、2度目の面談。

うちに来ますか?と言われて、「今この場で内定承諾書をくれたら、いま持っている内定先にこの場で内定辞退の電話をして、サインします」と言いました。

「僕は、別のHRの企業からも内定をもらっている。いま内定書をくれなければ、僕はそっちに行く。それはあなたたちにとって、内定者を確保できないことに加えて、他社に人材を流すという、2倍の損失になるはずだ。だから、この場で内定をくれ」と言いました。笑

今思い返すと、割とすごい。。

 

そしてその面談担当者は「私はあなたと一緒に働きたいと思っているけれど、もはや、あなたの内定は、自分一人では決められない。今までの面接官を含め、再度全員と確認するから、もう少し時間をくれ」と言われました。

一体何のための面談なんだろう。。と思いました。しかも役員面接後に、2回もの面談をして。

「あなたで決められないなら、何で最初から決められる人が面談をしないんですか?」という言葉が喉から出かかったけれど、さすがにそれは飲み込みました。笑

(実際に、面談の相手は人事部長だと言っていたはずなんですが、、w)

 

結局、僕はその後、お祈りメールをもらいました。笑

理由は「枠がないから」と言うもの。採用枠ですね。

 

その面談当時は6月の下旬。

6月1日から内定出しをしたその企業の、今年の採用枠というのは限られている。6月下旬ということは、本当に残り数枠あるかないか、というギリギリのラインだったと思います。

僕が飛び抜けて優秀であったならば、おそらくは役員面接時に即内定だったはず。

(実際僕は結果的に、役員面接時に内定をもらった別の企業に行きます。)

でも、そうではなくて、おそらくは僕の評価はボーダー。当落線上にいた、ということでしょう。

その上で、僕の評価・志望度と、他の学生のそれとを比較した上で、枠がなかったから残念、という結果になったのだろうと思っています。

 

この選考を通して僕は、本当に多くのことを学びました。

自分の小ささ、大企業の舵取りをする人たちの思考と世界観、そしてその凄さ。

同時に、自分が生きてきた世界よりもはるかに上の世界が存在するということも知ることができた衝撃。

 

それでもなお、僕はやっぱり、自分が信じる道を歩むしかなくて。

いつか、あの役員の方とも、再会する日が、そして一緒に仕事ができる日が来ることを願って。

ありがとう。

 

<追伸>

AIについて想うこと。



憧れの会社はある。志望動機はない。

憧れの会社はある。志望動機はない。