昨日までの自分と競争する。

2019年1月20日書評(という名の感想文)

千田琢哉さんの「集中力本」を読みました。

集中力を磨くと、人生に何が起こるのか? (「成功する人」が持っている目標実現のスキル52)

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Amazon予約をしていて、先日家に届いた後の休日、カフェのソファで一気に1時間くらいで読みきりました。

いい休日ですね。コーヒーを飲みながらゆったりと読書って。

本当に素敵な本でした。

仕事をしてからも、ずっと読み続けたい座右の書ですね。

僕がこの本の中で、心に劇刺さりした言葉は、

「昨日までの自分と競争する」

という言葉。

なんでこうも心に残っているんだろう。

と考え続けた結果、あ、これは僕が今までの人生で意識していたことだ、と気づきました。

千田本はハウツー本ではなくて、人生の書なんですね。

この本もただ「集中する方法」を説いた本でなくて、もっと本質的な人生の在り方を書いています。

僕は、周りからすごく冷めていると言われます。

幼い頃、小学生の頃にはすでに周りの大人たちに、冷めてると言われていました。

別に僕は人生に冷めているわけではなくて、ただ淡々としている、と自分では思っていて。

何か一つに熱中するると、本当に周りが気にならなくなるくらい入り込みますし、その時間はものすごく熱い。むしろ冷めているとは対極だと思います。

読書もそうだし、勉強もサッカーもそうだった。

にも関わらず周りの人たちは、僕のことを冷めていると言う。

幼少期から、逆に僕はものすごく不思議でした。

周りの人たちは、なんでこんなにもふわふわしているのだろう?

熱中して何かに打ち込み、そしてそれを淡々とやり続けることはないまま、日常的な何かに一喜一憂している。そしてその根っこになにがあるのだろう?と、

昨日までの自分に別れを告げる

僕の今までの人生を振り返った時、大きく熱中しているものが幾つかあります。

ひとつは、読書。

そして、勉強と、サッカーでした。

それらに打ち込むの僕の集中力はすごい。

でも、自分ではそれには気づきません。なぜなら、僕はただ気づいたら夢中になれる者に熱中しているだけだからです。

就職活動においても僕は人事から「集中力」があると評価され、初めて僕は集中力がある方なんだ、と自己認知をしました。

というのも、別に今まで僕は「集中しよう!」とか、「集中力をつけるにはどうしよう」などと力んで物事に打ち込んできたわけではなくて、ただ自分が熱中できる者に淡々と打ち込み続けてきただけだからです。

こうして10代の頃から文章を綴り続けているのも、あるいは今まで6年間以上も毎日誰かに手紙を書き続けているのも、誰かに強制されるわけでもなく、気づいたら没頭していることを継続し続けただけなんですね。

それらの共通項は、すべて「昨日までの自分を超える」ということです。

つまり、ベースにあるのは集中力ではなくて「探究心」ということです。

もっと知りたい。もっと進みたい。もっと、もっと。

勝負するのは、他人ではなくて、昨日までの自分。

無意識的に小学校時代から僕は、どうやら淡々と自分自身と勝負をし続けることを継続していたようです。

もちろん、中学校や高校などは、僕は成績で評価される環境にいましたから、勉強などは他人軸で頑張ろうとしたこともありました。

でも、やっぱり何かが違う、と気付くんですね。

成績を上げることに集中するよりも、知らないことを知ったり、解けない問題が解けるようになることの方が、よっぽど楽しい。

10代でそのことに気づけたのは、本当に財産です。

昨日までの自分に、別れを告げる。

せっかくこの世に生まれた人生。もっともっと。

常にそんな生き方でありたいですね。

ありがとう。