自分のプチ才能を活かす環境作りを考える

社会人4年目(大阪→東京), 働き方・キャリア

ここだけの話、自分のプチ才能を活かせる仕事につけたらすごく幸せだ。

自分のプチ才能とは、自分にとって力を抜いていても、他の人の倍の成果が出せたものとイメージをしてもらえればわかりやすい。

何年か前にホリエモンこと堀江貴文さんの「多動力」という本が流行ったけれど、多動力の本がいっているのは「100分の1のプチ才能を3つ掛け合わせると、100万分の1の価値になる」という、掛け算の原理だと僕は思う。


人並み以下の力で、人並み倍以上の成果が出せるプチ才能というのは、多くの人にとっては思いも寄らない過去に出来事の中に眠っていることが多いと思う。

「いや、自分にはそんなことはない」というかもしれないけれど、気づかないのはそれが自分自身にとって当たり前だと思っているからだ。

勉強やスポーツと言ったわかりやすい指標に才能を持っている人は、それが比較的早い段階(10代前半)には、「あ、自分はこれが得意だ」と気づかされる。
なぜならば、勉強やスポーツができるだけで親や教師といった周りの大人たちから「あなたはすごいね〜」と褒められるので、「あ、勉強(やスポーツ)ができるといいことなのだ」と子ども心に気づくことができるからだ。

でも、例えばイラスト描くことが好きだとか、漫画を読むなら24時間ぶっ続けても良いとか、物語を描くのが好きだとか、昆虫が好きだとか、プラモデルが好きだとか、そういう一見するとよく分からないプチ才能を持っていた場合には、周りの大人が「もう!そんなに漫画ばかり読んでいないで勉強しなさい!」とやってしまうので、そのプチ才能は見事に潰されていく。

有名な「さかなクン」という、今や東京海洋大学の名誉博士の職位にある方の母親の子育て論を聞いたことがある人も多いと思う。
もし、母親が子どもの「魚好き」に対して「こんなことばっかりやっていたら、将来がダメになるわよ!」と才能の目を潰していたら、今のさかなクンはなかったわけだ。

何が言いたいかというと、自分自身が夢中になれたり、時間を忘れて没頭したものを思い出してみようということ。
それらをそのまま仕事に向けることは難しいかもしれないけれど、それに含まれている「好きの要素」を大人になってからの生き方につなげることができれば、すごく幸せな人生を送ることができると僕は思うのだけれど、いかがだろうか。

環境こそ全てだと知って、環境構築に注力しよう

自分では全く努力をしたつもりではなかったけれど、人から「すごく頑張っているね」と言われたことを仕事にすると、正直、天国だと思う。

つい1週間ほど前に、僕の大学時代の物理学科の先輩で、今はある企業の研究開発職にいる人とオンライン雑談をしたのだけれど、彼は大学時代の「物理学者になりたい」という夢こそつながらなかったものの、「日常のあらゆることに仮説を立てて検証をする」という性分と、「物事の心理を探求したい」という探究心を組み合わせて、とても幸せそうな日常を送っていた話が印象的だった。

(このブログも以前は時々読んでくれていた!今も読んでくれているのかな?)

1つ変態的なエピソードがあるのだけれど、彼は大学時代に、「自分の1日が最も生産性の高い睡眠時間はどのくらいか」ということを検証するために、15分単位で睡眠時間を変化させ、その日の気分や集中力、記憶力などを測っていったという。

6時間、6時間15分、6時間30分・・という風に。

その結果、7時間半が自分にとって適正な睡眠時間だということが発覚したので、今も毎日きっちりと7時間半の睡眠時間を確保するために夜は10時に眠って、朝は5時半に起きる生活をストイックに続けているという。

僕からするとその生活はすごくストイックなのだけれど、本人はもちろん楽しんでやっているし、そもそもそれを努力だとは思っていないわけだ。

彼は食べ物、生活リズム、飲み会に行く行かない、勉強するもの、などなど全ての生活事象に対して仮説を持って検証をして、自分なりの理由づけをして暮らしている。
きっと普通の人が彼の彼女や奥さんになった場合は大変だと思うが(笑)、彼はきっとその道で成功するので、幸せな人生だと思って応援している。

 

僕の場合でいうと、学生時代に顕著だった自分の志向性が、特に社会人になってから強調されたいくつかのエピソードがある。

例えば、一人暮らしを初めて毎週末になると、僕は家に引きこもってひたすら本を読んだり、NewsPicksの動画を見たり、個人的な仕事をしたり、いろんなことを考えてアウトプットをしたり、ということを好きでやっている。

けれどこの生活スタイルは、多くのビジネスパーソンの目には「超・意識の高いビジネスのスタイル」に映るらしく、「休みの日までたくさん勉強して偉い、、」という謎のガリ勉生徒のように扱われるわけだ。

けれど実際は、学生時代から僕は毎日1冊以上の本を読むことは当たり前だったし、中学生くらいからは世の中に溢れているビジネス書に夢中だった。
高校生くらいになると、それこそYouTubeで「GLOBIS(グロービス)」という有名なビジネススクールの講演動画を聞くことが趣味だったわけなので、今はそれがより加速してすごく幸せな趣味の時間を満喫しているという感覚が本音なのだ。

正直、僕が今、個人的にも「知恵で稼ぐ」ということができ始めていて、会社でもそのような仕事の仕方(自分の探究心を注ぎ込める在り方)が認められる環境が構築できているのはすごく恵まれているし、幸せだと思っているけれど、正直なところ努力をしているつもりは全くないのだ。

フロント時代にも、がむしゃらに現場をやり続けなくとも、社内から何も言われないポジションを2年目で築くことができたし、3年目以降はほぼ、趣味の延長線上でクライアントと対話をしていたと思う。要は「自分の引き出しを増やし」「掛け算による市場価値を最大化させる」という知的探究心を刺激する楽しみのために仕事をしていたのだ。

それでもほぼ何も言われない環境には感謝だったのだけれど、その結果、今の立場につながっているし、ハッピーだと思う。

それらは僕自身の志向性を最大限に活かせる環境作りに注力したから今があることは間違いないので、何をするのかも大事だけれども、どこでするのかという環境が大前提なのだということは改めて痛感している。

自分のプチ才能を存分に発揮できる環境を選ぶ。選べなければ作る。そこにさえ妥協しなければ、あとは自然と良いサイクルで物事が前に進むので、意識してみてはいかがだろうか。