思考停止を停止せよ

日々徒然

寝ても覚めても、世界中で新型コロナウイルスの話題で持ちきりなのですが、そういう時に思考停止となるか、その中で未来を自分なりに思考するかは、人によって大きく異なるところ。

ウィズコロナだとか、アフターコロナだとかいう言葉も出てきているわけですが、例えばコロナウイルスがいつ収束するかは誰もわかりませんし、その後にどんな世界になるかなんて誰もわからないわけです。

僕は個人的に、新型コロナウイルスの収束までは来年いっぱい(今年じゃないよ、2021年だよ)はかかるんじゃないかと思っているので、少なくともあと1年〜1年半くらいは今とさほど変わらないんじゃないかと思っています。

その中で例えば、企業活動がどこに・どれだけのお金を・どう使うかという資源の分配や、予算決めの方法論なんていうのは正解は存在しないわけで、それぞれが自分の頭で考えて、答えを出していかなければなりません。

ここ10年ほど、「答えのない時代(VUCAの時代)に到達した」と言われ続けていたわけですが、2020年ほどその「答えのない時代」を誰もがわかりやすく理解した現象はなかったわけで、その中で「自分なりにどう答えを出していくか」が何よりも重要になってくる。

そんな時代に必要なのは、やっぱり知識であり、教養。
リベラルアーツがあることで、人類2,000年の歴史から学ぶべきことは大いにあると僕は思う。

歴史や社会の変化、文化人類学的な見地、細菌学・生物学などもそう。
社会の変化と歴史と背景を、どれだけバックボーンとして持っているかが問われており、その中で「この未曾有の局面で、どのように答えを出すか」という力こそ僕らに求められていることなのだと思っています。

それは何も、やれ社会のリーダーがとか、世の中の変革者がとか、そういう理論ではない。

例えば、僕ら1人1人の人生を切り取って考えてみた時に、あなたは、いま、何に時間を投下しているのでしょうか?

これからの社会の変化の中で、どのように生きていくと考えているのでしょうか?

僕はいま、個々人に求められている最も最適な時間の使い方は筋トレだと思っています。
腹筋をしなさいということではなくて、「勉強のすゝめ」なのですが、ありとあらゆるジャンルの本を読み、思考をし、自分を見つめて、思考のトレーニングをする。

生き方の筋トレはしなければ、良く生きるなんてどうしてできようか。

今、思考停止で「しょうがないじゃんね〜」とダラダラ過ごすこともまた一興。
自宅で過ごす時間が増えて、その中で本を読み、情報を集め、思考をしながら生き方を見つめて過ごすのも一興です。

狩猟時代に、ボーッとしていたら生き延びれなかったことと同様に、今の時代も思考停止になってしまうと、生き延びれない時代なのかもしれないですね。

思考停止を停止せよ。