東京の遺伝子

日々徒然

もうすぐ東京に来て1年半が経ちます。

先週末は母親が来京し僕の家に数日滞在していました。
地元の話と、東京での話を行き来しつつ、都内のいろいろな場所に足を運んでみました。

母を帰りの羽田空港に送る道路、母が漏らした「東京はすごいねぇ」という言葉には、いろいろな背景が詰まっているように感じました。

地元を離れ、東京の会社に就職し、大阪に3年と少し住んで、東京に戻ってきた今、僕は東京とそれ以外の違いを痛感するのです。

東京は日本全国の一流の遺伝子が集まる場所

東京は単に「人口が多い」「だからいろんなサービスや文化が集まる」というのは、一理ありますが全てではありません。

一都三県のいわゆる首都圏は確かに世界最大の都市であり、最大の人口密度を誇ります。でも、それだけじゃない。

東京の凄さは、全国各地から最高の遺伝子が集まるところにあると思うのです。

優秀さ、頭脳、美貌、才能。
そういった最高峰の遺伝子が集まり、それぞれの役割を最高峰に全うするからこそ、洗練されるし、そこにドカンとお金が集まるのです。

ここ2年くらいはコロナの影響によって「地方移住も良いよね!」という空気感が促進されました。わざわざ片道1時間以上もかけて都心に通勤する必要はなくて、リモートワークができるのであれば安くて広いところに住もうよと。

でもそれは単に「片道1時間以上の通勤時間を我慢して働いて生涯賃金を換算していた人たち」、ようは「人生の時間を削ってお金に変えていた人たち」がそう言っているだけで、よりコアな仕事をしている人たちは地方に移住なんてせず都心に残り、むしろ「オフィスが空いてラッキー」と思っているはず。

僕はコロナによって地方移住が促進されることで、より洗練された人たちはむしろ都心に集中すると考えています。企業も個人も、価値を生み出す側、生産する側の仕事はむしろ都心に集中していく。

コロナによって本当の意味での知的生産を行う人と、ホワイトワーカーのふりをした時間ワーカーと、「あれ?実はいらなかったんじゃない?」という人たちが炙り出されたというだけの話です。

企業の雇用のあり方が一気に変化、次の時代に進んだのもその1つです。

僕自身はできることなら10代、あるいは大学時代から東京で過ごしたかった。

でも、今だからこそ思えるとするのであれば、実家も10代も大学時代までも地方で過ごして、その良さとそこで生きる人たちの生き様を体感できたからこそ、この環境の凄さをより一層感じることができるのです。

大阪で住んだ3年間もそう。関西圏のあらゆる場所に足を運び、たくさん満喫することができた。大阪は僕の第二のふるさとになりました。

「東京と大阪」と語られるけれど、そこには決して埋まらないギャップがあることも、両方に住んでみたからこそはじめて感じる本音だと思うのです。

あらゆることが繋がっている。ありがたい話です。

僕が以前に書いた「ちゃんと故郷を捨てる」という記事は今だに結構読まれている記事です。今年はより一層、人生で運の貯金をしたい1年です。