幼い頃には誰だって、憧れのヒーローがいた。

2019年1月5日日々徒然

幼い頃にはいつだって、憧れるアイドルというものが存在します。

僕の場合はというと、憧れのフットボール選手(ジダンや俊輔や遠藤)がいて、音楽的なヒーロー(ビートルズや安全地帯)がいて、そして文学的アイドル(千田琢哉さんとか村上春樹さん)がいました。

(ここには書ききれないくらい。)

僕が憧れていたヒーローたち。

彼らの若い頃にもまた、彼らにとっての偉大なヒーローがいたのだと思うんです。

以前に、というのも少し前のことですが、イタリアのセリエA(イタリアのサッカーリーグ)のASローマというチームに、フランチェスコ・トッティという選手がいました。

僕は彼がとても好きだった。

もちろん幼い僕にとってフットボールのヒーローは他にもいましたが、やっぱり彼のかっこよさは半端じゃなかった。

具体的に何がかっこよかったかについて書くといくらでも書くことができるので、それはまた別の機会に譲るとして。

トッティはイタリア代表で何年にも渡って10番を背負っていて(それは簡単なことではない)、セリエAのビッグクラブにとって、そしてローマという街にとっても、彼は歴史に残る大スターでした。

僕が以前に何かで読んだのですが、そのトッティの幼少期の夢は、ひとつはフットボール選手になること。

そしてもうひとつは、街の一角にあるガソリンスタンドの店員になることだったそうです。

きっと幼い彼にとって、フットボール選手と、そしておそらくは自分の部屋の窓から見えるガススタンドのお兄さんが、偉大なヒーローだったんですね。

純粋に、いいなぁって思うんです。

僕にも、いや、誰だって、幼心に憧れを抱いていたヒーローがいたはずなんです。

でも、いつのまにか僕らは、そんなことを忘れてしまっている。

いつのまにか、あのあくまでもまっすぐな気持ちとか、純粋な眼差しとか、そういったものをどこかに置いて忘れていってしまう。

あるいは、自分自身の中の奥深くに仕舞い込んででしまうのでしょうか。

あなたにとって、あの頃憧れていたものはなんですか?
まだそれを、覚えていますか。

翻って。

僕にとって憧れだったものは、まだ僕の中にしっかりと仕舞い込まれてしまっている気がします。

それらは時々、何かの拍子に出て来ることがある。

今までの僕は、それをあくまでも見ないようにして、だんまりを決め込んで、忘れたふりをしていました。

でも、もうちょっと、もうちょっとだけでもいいから、そういったものを大事に思ってみるのも悪くない。と思うんです。

もちろん、現実的なことを考えることも大切。

それはある意味、大人になるということなのかもしれません。

この世知辛い世の中で、賢く生きていく術を身に付けることも大切なんだと思います。

今からサッカー選手になろうとは、そもそも思いません。もちろん。

でも、あの頃の僕が大切にしていた「何か」を大切にすることは、今の僕らにできることだし、またすごく大事なことのような気がします。

それがどんな意味を持つのか。なんてことは僕にはわからないけれど。

別に何者かになろうとする必要なんてなくて。

あるいは憧れていたヒーローと比べる必要もない。

ただ、自分の心の声に耳を傾けること。少なくとも時々は、そういったものを大事に想うこと。

そういうことなんだと思っています。

ありがとう。

<追伸>

誰しもがまた、誰かにとっての憧れなのかもしれません。

僕は、誰かに憧れられる人生を送りたいとはあまり思いませんが、もしも将来、もしも誰かがそんな風に思ってくれるのであれば、すごく嬉しくて、そして何よりも、今の僕自身に胸を張っていられるような、そんな大人になりたいです。