年賀状は、贈り物だと思う。たくさんの感謝を思い出す
年末年始は大阪で過ごしています。ゆってぃです。
12月28日(土)の夕方に、母親が1年半ぶりの関西にきました。
(今回は僕が親を招待しました。前回は2018年の夏休みに来た)
空港に迎えにいき、少し梅田巡りをして帰ってきました。
僕がフライトで帰省をするよりは楽ですし安いですし、と言うことで。
*
今日(29日(日))は天気が悪いこともあり、自宅でゆっくりしています。
久しぶりに色々な話を親としたり、「いい生活してるねえ」と言われつつ。w
(そうでもないけれど、ちゃんと丁寧な生活をしようとは思っていますよね)
あとは、絶賛、年賀状を書いています。12月に入ってから少しずつ書き進めてきてはいたものの、やっぱり書けば書くほど「この人にも!」ということが出てきて、止まりません。笑
いろんな人に支えられながら、大阪での3回目の新年を迎えようとしています。早いものですね。
年賀状は今までの感謝を伝える手紙だと思うのですが、書いていて、これほどまでに多くの人に支えられながら今があるのだと言うことと、感謝を伝えたい人がこんなにもいるんだということが嬉しく思えて、幸せな年末です。
年賀状は、贈り物だと思う。
年賀状は、贈り物だと思う。
と言うコピーがあります。コピーライターの岩崎俊一さんが書いたコピーです。
たった一枚の、小さくて、うすい紙。それが年賀状です。
そこには何も入らない。指輪も、セーターも、シャンパンも入らない。
でも、そこには、あなたを入れられる。
あなたの気持ちを、あなたの言葉を、あなたの表現を入れることができる。
だから年賀状はすばらしい。
そう思いませんか。
大切な人のもとへ。
一年で、いちばん初めに届けられるプレゼント。
また、こんな言葉もあります。
年賀状を送らなくなって、久しい。
年に一度だけ、慣習的に送り合う近況報告のやりとり。
「結婚しました」
「子供がこんなに大きくなりました」
「どこそこへ旅行に行きました」
「元気でやっています」
プリントされた宛名と、プリントされたメッセージ。
手書きで何かメッセージが添えてあれば良いほうで、
そんな手書きのメッセージすら、
冷たさを幾分でも和らげるための自己主張のようで、
どこか寂しく映る。
いつから、年賀状はそんなに寂しい存在になったのだろう。
誰かに言葉を送ることは、そんなに寂しいものだったろうか。
そこには、もっと暖かな、気持ちのやりとりが存在していたのではないだろうか。
そんな想いに、このコピーはすっと答えを示してくれる。
年賀状を「送る」ことは、「贈る」ことでもある。
そうなのだ。
たとえ、一年に一回でも、つながりを持ち続けることに意味がある。
そして、できれば、少し大変でも、あなたの想いを乗せた手紙を贈ることができれば。
日本のお正月が、少し幸せになる。
そんな気がします
こう見えて(?)僕はアナログな人間ですし、アナログを大事にする人間だと思っています。
学生時代に初めた「手紙を書く」ということも今なお継続中ですしね。(こっそり)
年賀状は、贈り物だと思う。
たくさんの感謝を思い出す。1年に1度くらいは、そんな日があってもいいじゃないか。