読後感『「自分の名前で」勝負する方法を教えよう。』(千田琢哉)

社会人3年目(大阪), 書評(という名の感想文)

昨日のブログに書いた予言が的中!
昨日の夜、ご飯に行ってきた方に言われたのは「会社、辞めました」という報告でした。教えてくださってありがとう!

「思ってもみなかったでしょ?ビックリしたでしょ?」
と言われて「そうですね」と返したのだけれど、99%確信を持っていたので不思議な気持ち(´・ω・`)

千田琢哉さんの新刊を読みました。感想を。

「自分の名前」で勝負する方法を教えよう。 効率的に成功をつかむための40のヒント (単行本)

もう10年以上経ちますが、氏の著書に出会って10代の僕は生きる希望をもらいました。

あれから大学を出て、就職をし、不思議なことに新卒で大阪でこの業界で働いているというのは、避けていたはずなのになぜかダブる部分もあって、やっぱり影響を受けていたんだなあと実感したりします。

謙虚にいなさいというメッセージは他人に言うものではない

この本を読んでいて、とある一節が胸に響きました。

「謙虚になりなさい」は「成長せずに永遠に私の支配下にいなさい」ということ。

身近な人が成功しようとしているときに、その人に向かって「謙虚になりなさい」というアドバイスをする(大体は年上の)人たちは、その人たちこそ謙虚さを忘れているのではないのでしょうか?

昨日、上で書いた方と飲んでいて、「謙虚さ」という言葉が何回も出てきたことを思い出しつつ。
彼自身が「もっと自分は謙虚にならなければ」と言うならともかく、ひと様に対して「謙虚にならないとダメだ!」と言っていた。

100歩譲って、言われる側の人が多少強引さや傲慢さを持ち得ていたのだとしても、才能があって努力をしている証拠だし、そもそも「謙虚になりなさい」というのは自分で気づいて初めて謙虚になるのであって、他人に言うものではないと僕は思うのですが、いかがでしょうか。

まったく悪気がないところがまた、なんともいえないんだよなあ。笑

まあ、わかりますよ。年下の人たち(30代、40代)で優秀な人たちに囲まれていて、彼らがどんどん世に出ようとしているのを目の当たりにしたら、焦る気持ちもわからないではない。

でも、その人たちに対して「学歴も優秀さもエリートも関係ないのだ!」叫ぶのはちと痛い。
「あの人たちはブランドを盾にしている。プライドが高いんだ」と言っているのだけれど、そう言う自分の方がよっぽどブランド志向だし、プライドが高いよね、、と思ったりして。ごめんね。

いい人なんです。これからもお付き合いしていきたい人ですもちろん。

まずは土俵ありき。戦う場所を間違えたら自分を殺すことと同じ

社会人になってつくづく感じていることは、自分の器の大きさを広げるだとか、地頭をよくするだとか、努力するだとか、そういうことは社会の中ではあまり重要ではなくて。

それよりもずっと大事なのは、自分自身の器の大きさを知っていることであり、自分の能力をきちんと捉えていることであり、そして何よりも「勝てる土俵」=「努力を努力と感じない場所」で勝負することなんですね。

相撲が得意な人が、マラソン競技で勝負しないことと同じでしょう?

「好きこそ物の上手なれ」という言葉もありますが、下手の横好きだけで居座り続けられたら周囲は迷惑です。
本当に自分の好きなことをやり続けようと思うのであれば、まずは何か1つでも抜きん出るものを作る。

この世で一番厄介なのは「無能で熱い人」、反対に「有能で意欲のない人」を評価しよう、というメッセージも本質すぎて。。

補欠の先輩になりそうだと思ったら、さっと場所を変えるのは結局正しい選択だと思うのです。

ただ、一度きりしかない人生、場所を変え続けてもいいから、どこかで自分の名前で勝負できる場所を見つけたいものですね。

千田氏の著書にも繰り返し描かれていることなので、興味のある方は手にとってみてはいかが。

 

<追伸>
今日から冬休み。年末年始にダラダラすることも大事だと思うし、「来年の豊富」を来年に考えるのも良いけれど、せっかくの冬休みなんだから、1日でも前倒しでやりたいことをやっちゃおう。

「来年やりたいこと」を冬休みからやっちゃう人生って、最高じゃない?