社会の賞賛は蜜の味。そんなに大人の賞賛が欲しいの?

大学時代

つい3年前まで大学生だった僕が、同世代の人たちや先輩・後輩方を見ていて「ああ、勿体無いなあ・・」と思わされる人たちには、ある共通点があった。今なら大学生活を送る後輩たちを見ていて確信的に思うこと。

それは「(どうでもいい)大人の賞賛を欲してしまう」ということ。
よくある意識高い系の学生活動をやっている人たちは、うまく大人に消費されるだけの存在になってしまうケースが多いので、僕なりの警鐘という意味も込めて書きたいと思う。

去年に引き続き、今の会社の新卒採用に携わることになったのだけれど、会社の人事が僕にあててくる学生というのは基本的に優秀な人たちが多いと思う。

でも、中には(言葉はあれだけど)ものすごくビジネス嚙りの学生の方もいて、別に企業サイドは就活生に「ビジネスの経験があるかないか」ということは求めてはいない。

もちろんきちんとした水準で、何かプロダクトやサービスを作った経験というのは素晴らしいと思うけれど、逆に「この人微妙だなあ」という人もある一定数いることは否めない。
よくあるパターンが「学生時代にこういうイベント開催しました!」「大人を呼んで企画しました」という人はまさしくそう。あなたの周りにも思い当たる人の顔が浮かぶのではないだろうか。

それが好きなら良いと思うし、好きなだけやったら良いと思う。
でも、それが「社会を知っていて」「大人に評価されている」と本気で思っている人たちも多くいて、率直に言って「ああ、社会に消費されているな・・」と思えてしまって笑えない。。不思議な気持ちになる。

大人の社会は「大学生」という名前が欲しい

インターンシップの名のもとに、安い労働力として使われているケースも同様だと思うけれど、基本的に大人や社会というのは「大学生」というネームバリューに弱い。

大学生の人たちが慕っているように見える大人、囲まれているように見える大人は、なんとなく素敵な人に見えるという錯覚が日本には存在していて、ともかく「大学生」という社会的な立場の違う人たちを消費する大人というのは一定数存在している。要は騙している大人ということ。

いま大学生のあなたには厳しい言葉かもしれないけれど、それは「あなた」という人間ではなくて「大学生」という名前が欲しいだけなのだ。それが社会の本音だと受け入れよう。

僕個人的には、ぶっちゃけ騙される大学生が悪いという思いもある一方で、自分で判断できない学生だからしょうがないなという思いと、適切な情報が取捨選択できる環境提供は(大人側の立場として)したありたいなと思ったりもする。

インターンシップとかイベント企画とか限った話ではなくて、構造的に「社会に時間を搾取されている」という大学生はものすごく多い。

それも一つの社会勉強だと言えばそれで十分なのかもしれないけれど、お金を出して大学生活を送っているのであるならば、他にも選択肢は存在するのではないか?と思ったり、思わなかったり・・

社会の賞賛は蜜の味。そこまで大人の賞賛が欲しいのか?

話は変わるけれど、世の大学生の人たちの問いたい。

そこまで大人の賞賛が欲しいのか?

自分が思い描いていたやりたいことに対して「やっぱこっち!」といとも簡単に変えることができるほどに、社会の賞賛は甘いのか?蜜の味なのだろうか。

もちろん僕にも大学生の時代があった。たった数年前の話だ。
だからその気持ちはよくわかる。(なんだそれw)

大学生というのは、大人として見られる反面、まだまだ学生だ。親の保護下にあり、自由な不自由の立場にある。
特に、未来のこと、やりたいことを真剣に考えようとする人に限って、自分自身が何者でもないという現実を直視せざるを得ない。それが辛いのだ。よくわかる。

だからこそ「いいね!」と諸手を上げて、手放しに賞賛してくれる周りの大人たちの言葉についついすがってしまう気持ちというのは、痛いほどによくわかるのだ。

でも、それでも、それでもだ。もう一度、その蜜の味というのは瞬間的なものであるということ、そして仮に何かあった時に「いいね!」と言っていた大人たちは、あなたに対してなんの責任も取ってくれはしないのだ。

大学生のあなたが慕っている大人というのは、何かあった時に、守ってくれるだろうか?責任を取ろうとしてくれるだろうか?本当にそうだろうか。

そのくらい、少し考えればわかるだろう?と言いたい。

 

少し前に、「ギャップイヤーを持とうぜ若者よ」というメッセージを込めて、以下の記事を書いた。

自分のやりたいことが明確に見つからないのであれば、大学生の特権である「休学」という手段を用いてギャップイヤーの中で何かに挑戦をする機会を作ろうよ、その時間を持つ価値は大きよ、という内容を書いた。

今でもそのメッセージは変わらないのだけれど、その中で人生において何よりも大切な「時間」という資源を、正直よくわからない社会、これからの人生で関わることがないであろうどうでもよい大人のために消費をするというのは、無駄とは言わないけれどもう一度考え直して見てはいかがだろうか、という僕なりの思いがある。

遊んでも良い。学生時代には、学生時代にしかできない過ごし方をしても良い。だらだらゲームをしたり飲み会に明け暮れていても良いじゃないか。

でも、あなたの人生を「消費しようとする大人」のために、その大切な時間を使ってしまうことは、それが本当にあなたにとってハッピーなのかということは、考えて見て欲しい。

もう一度いうけれど、そんなに(どうでもいい)大人の賞賛が欲しいのか?

あなたが本当に何者かであるならば、今は何者でなくとも、いつか時間と経験があなたを何者かにしてくれる。
そのために今、一人の時間を作って時間投資をするのだ。そして、ちゃんとした大人に出会うために、自分を磨き続けるのだ。

あなたのことを本気で思ってくれる人は、意外にも近くにいたりするのかもしれない。人生というのはそういうものだ。いつか、親孝行しような。