組織文化とは、”当たり前の基準”の積み重ねによってつくられる
就活とかでもよく聞くけれど、「我が社は、風通しがいい組織文風土です!」とか「組織文化が合う会社がいい!」とか、そんな言葉が飛び交う時代なんだと思う。
僕自身が経験をした世代じゃあないけれど、10年前には「組織風土が大切!」なんていう会話は、なかったんじゃないかと思うのです。
それだけ「雰囲気が合うか」という抽象的な概念や価値観が大事にされる時代であることを象徴していると思っているのですが、じゃあ、いったい「組織文化」ってなんだ?という話。
本音で言うと、就活のときに「会社選びの基準は、組織風土」なんて語る就活生、そして「我が社の組織風土は」と語る企業を見て、正直ないなあ・・と思っていた。
とはいえ、こうして仕事をしている今も時折そういう会話を耳にするということで、多かれ少なかれ考えさせられる機会も多くて、人によってはやっぱり大事な要素なんだとも理解できるようになってきた。(だから自分がどうするとかはないけれど)
当たり前の基準が組織文化を形成する
例えば、僕の所属する組織は「毎週末は、ほぼ飲み会、週末は接待ゴルフ」とかいう風習はないけれど、今もなおそういうことを求められる組織(や会社)というのは結構多い。
組織によるのだけれど、「上司が飲みにいくときは、絶対ついていく」という価値観が浸透している場合、その組織の文化は「飲み会を絶対的に大事にする」という文化だといっても良いだろう。(個人が行きたいと思っているかどうかは、一旦おいておく)
逆に、「いや、毎週飲み会とか意味不明っしょ。行きたい人だけ行けばいいじゃん」という価値観が当たり前に浸透している組織は、「価値観を強要しない自由な組織文化」であるかもしれないし、
あるいは「飲み会にいって、生産性が上がるの?そのくらい自分で判断してよ、ビジネスマンでしょ」というクールさがある場合は、「個人の意思と選択が求められる組織文化」ということかもしれない。
何が言いたいのかというと、組織文化はそこに所属する人々の意思の集合体として、その組織なりの「当たり前の基準」の積み重ねによって形成されるのだと思うということ。
飲み会だけじゃなくて、例えば仕事のやり方、自立のあり方、人間関係、キャリアへの考え方、などなど。
そういう一つ一つの考え方の基準みたいなものが、暗黙知としていわゆる組織風土とか組織文化になっているのだと思うのです。
とはいえ、価値観が閉鎖的になるのは、イケていない
僕自身で言うと、どういう組織風土であってもぶっちゃけどちらでも良いと思っていて、
今僕がいる組織の在り方とか考え方に対しても、正直共感できない部分も多かったりする。
けれど、だからといって「ここが悪い!!」と声高に叫ぶつもりもないし、それはむしろ組織の「当たり前の基準が、そこにある」と思う以外の何物でもないわけで。
僕はそもそもそういうものに触れたくて、この組織に入ったのだから、縛られるというのもドメスティックであるというのも分かっていたし、そういうものだという興味心があるのだけれど。
(意外と自分がMなんだと思った・・そういうものを見て「なるほど」と思いながらわりと楽しんでます)
とはいえ、その価値観が閉鎖的になりすぎるのは、確かに良くないとは思っている。
価値観は多様的だけれども、自分たちの考え方や価値観が唯一無二のものとして、絶対的に君臨すること。
そして、他の価値観を無視する(あるいは攻撃する)という閉鎖を抱えることは、あまりにもイケテナイよね、と思うのだ。
違いを知る、というのは極めて高度な知能が要求されるということを、ひしひしと感じている1年半です。
やっぱり、こういう経験を見れるのは興味深い。
<追伸>
自己認知が出来ていない人ほど、「自分を客観的に見ることが大事!」と声高に叫ぶ・・
人って、面白い。