自分の言葉と社会の言葉は違うという認識をもつ
(2018年1月追記)
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就職活動を始めたばかりの大学生の多くは、大人と話すことに慣れていません。
大人と話し慣れしているというのは、大きなポイントです。
僕が大学時代に関わらせてもらっていた学生と企業の場づくりにおいて、一番大きな価値が「大人と話し慣れる」だったと言っても過言ではありません。
例えば、僕らのクライアントである企業の選考を行った際に、一般枠からエントリーしてきた学生と、僕らの場を通してエントリーをした学生とでは、明らかに質が違うというコメントをもらいます。
その違いは例えば自己理解や企業理解、アウトプットの質といったように色々あるのだけれど、そもそものところでいくと、この「大人慣れしている」ということなんです。
大人慣れしている、大人と話し慣れていることのいちばんのメリットは、自分の言葉と社会の言葉は違うということを知る機会になるということです。
大学時代というのは、気の合う仲間とだけ話していればよかった。
同じような世代、同じような価値観の仲間としか関係を築いていません。
同じような価値観の仲間同士というのは、特に自分の話す言葉を意識せずとも、同質的であり、かつ多くの共通言語を持っていますから、例えば「あれ、よかったよね」「めっちゃよかったな」という会話が成り立ちます。
「あれ、やばくない?」「やばいやばい、めっちゃやばいよねー」で会話が終わるわけです。
でも、社会というのはそれでは成り立たない。
気の合う仲間以外の人たちとも付き合っていかなければならないのが社会なわけで、学生には学生の言葉が、社会には社会の言葉というものがあります。
まず、君たちが話している言葉と社会の言葉は違うという認識を持つことです。
コミュニケーション能力がある=友達が多いことではない
自分の言葉と社会の言葉は違う。自分の言葉で語ることは大切だけれども、それは「自分の言葉」と「社会の言葉」は違うという認識を持った上でのことだと思う。
特に学生時代は、自分(=大学生)の常識、感覚が基準となっているけれど、社会はそれとは全く違うモノサシで計られる。— Yuttie (@zoktotuya) 2017年3月1日
例えば、就活生がよく「私はコミュニケーション能力があります」と言うけれど、そもそも学生と社会における「コミュニケーション」の定義が全く違っているので、会話が成立していないことがほとんどなわけで。
という認識を持った上で、自分なりのコミュニケーションについて語ることだと思うのです。— Yuttie (@zoktotuya) 2017年3月1日
以前にツイートしたものですが、基本的に君たち学生の言葉と社会の言葉は違います。
就活ではよく「自分の言葉で語ろう」というけれど、そもそもそれは、この「学生の言葉」と「社会の言葉」の違いを知った上でのことです。
面接でよく見られる自己PRの代表例が「私はコミュニケーション能力があります」「私はリーダーシップがあります」というようなものです。
しかし、本当にコミュニケーション能力がある人は「私はコミュニケーション能力があります」とは言いません。
一歩踏み込んで「どういうこと?」と聞くと「私は友達が多く、誰とでもすぐ友達になれます」というような回答がかえってきますが、そもそも違うと言いたい。
何が違うかというと、”コミュニケーション能力がある=友達が多い”ではないということです。
社会におけるコミュニケーション能力とはつまり、ひたすら組織で成果をあげるためのものです。
会話をすると、「伝えたいこと」=「伝わったこと」にはなりません。必ずギャップが生まれる。コミュニケーション能力とは、そのギャップをできる限り小さくするということです。
自分の言いたいことを相手にできるだけ正確に伝える。相手の伝えたいことをできるだけ正確に受け取る。
それがコミュニケーション能力があるということです。
という前提で行くと、上の「私は友達が多いので、コミュニケーション能力があります」というのは、そもそも会話が成り立っていないということなんですね。
コミュニケーション能力があると言っている人が、そもそも会話が成り立っていないというのは・・ということです。
同じように、「サークルでリーダーをしていたからリーダーシップがあります」とか「アルバイトで副店長をしていたから私はリーダーに向いています」というのが、まったく違うということに気づくはずです。
こういったことは、誰も教えてくれません。
自分自身で気づくことができた人は成長していくし、そうでなければ何が間違っているのか気づかないまま就活を終えてしまいます。
これが就職活動の場だけならまだいい。
社会に出ても、同じようなことが繰り返されて行くわけですから。
だから、自分で本を読んだり人に会ったりを繰り返し、自分自身で気づいていくしかない、ということです。
<追伸>
と言いつつも、僕もずっと同じようなことを上司に言われ続けた大学時代でした。