男子、ちゃんと歌ってよ。

2019年1月5日学生時代

大学2年の頃だったと思う。

大学でできたひとりの友人に声をかけられた。

合唱サークルをつくろうと思うんだけど、よかったら参加しない?

なんで今時、いや、大学生にもなって、合唱?

そもそも僕は、中学校も高校も、普通の学生が経験するであろう(と、大学生になって聞いた)、合唱コンクールというものを経験したことがない。

私立の中高一貫校だったからだろうか、僕の学校には合唱コンクールというものがなかったのだ。

そもそも学校には、クラスで合唱をすること自体なかったし、毎年必ず音楽の授業があるわけでもなかった。(と記憶している)

僕自身は合唱コンクールというものに参加したことはなかったのだけれども、それがどういうものであるかということは、何かの映画で観たことがあって、知っていた。

1クラス30人〜40人くらいの学級で、だいたい男子と女子が半々くらいで、学年から与えられた「課題曲」と、そしてそのクラス(あるいは学年)で好きな歌を歌える「自由曲」がある。

週に何回か、放課後になるとクラス全員で残って、合唱の練習をする。

青春だなぁ。なんてことを思いつつ。

男子中学生なんていうのは、だいたいはバカだ。(自分でいうのもなんだけれども、僕だって中学生の頃はバカだった。と思う。今も大して変わらないけれど)

そして大抵は、男子中学生よりは女子の方が幾分大人びている(ことが多いと思う)。

僕の実感値なのだけれども、そしてそれは中学生の頃だけじゃなくて、いつになってもだいたいは変わらない気がする。うん。

僕がもし、中学生の時に合唱コンクールなるものがあって、放課後に残って全員で合唱の練習をしましょう。

なんてことがあったら、僕はどう思っていたのだろうか?

おそらくは、ちゃんと歌うことができなかった気がする。もちろん、音楽が大好きであったとしても、ということだ。

そこにはおそらく、気恥ずかしさと、目の前のことに一心になることが何となくかっこ悪い、いうなれば「ダサい」というような空気感があって、そしてそれはどこもだいたいは同じような気がするんだけれども、とにかく真面目に合唱の練習をすることは、できなかったように思う。(それが中学生というものだった気がする)

そして恐らくは、クラスの女子はこんな風に言うと思う。

男子、ちゃんと歌ってよ。

それが、話は戻るが僕の大学の友人がつくった合唱サークルの名前だった。

略して「ダンちゃん」。

そのサークルの名前が「男子、ちゃんと歌ってよ」になった経緯はわからないけれども、そして上に書いたことは完全に僕の妄想とも言えるものだけれども、とにかく僕は、友人が作ったその「ダンちゃん」という合唱サークルに誘われた。

***

あれから約2年が経って、僕らは今年、中学や高校に教育実習にいった。

僕は物理が専門の高校免許を取る予定だったので高校に、そして同級生の何人かは中学に行った。

その教育実習からしばらく経って、僕は同じ学科の友人から、

「実習に行ったときの中学校のクラスが、合唱コンクールに出ることになって、招待されたから今度それを観に行ってくる」

という話を聞いた。

という経緯で、「ダンちゃん」というサークルがあったなということを思い出してこのブログを綴っているのだけれども、そんな風に中学生の生徒たちに招待されたその同期が何だかすごく羨ましく思えてきて。

その同級生曰く、そのクラスは前々から合唱コンクールに出るために、すごく一生懸命、歌の練習をしていたそうだ。

そして、そのクラス担任の女性の先生が誰よりも張り切っていて、コンクールに出場できることを誰よりも喜んでいるらしい。

学校の教師の喜びって、ひとつそういうところにあるのかもしれないと、ふと思った。

僕は大学時代、教職課程を学ぶ中で、学校現場の教師の大変さとか、仕事の厳しさ、生徒と親と学校の三者の間に立たなければいけないという葛藤がある、ということを目の当たりにしてきて。

そんな大変な職場の中で、ひとつ何物にも代えがたい「やりがい」のようなものが、あの頃の青春を何度でも味わえることなんじゃないかって。

生徒たちは、みな真剣に、精一杯その時を生きている。

ひとつこの合唱コンクールとかもそうだと思うし、勉強も、部活も、ホームルームも。

そういった青春の時代を、いちばん間近で感じることができる教師という仕事の喜びは、すごくたまらないものなんだろうなって。

僕は教師になるという道は選ばなかったのだけれども、もしその道を選んでいたとして、そして幸運なことに教師になれていたとするならば、たとえ仕事が大変で、いろんな葛藤を抱えていたとしても、10代の生徒たちの汗とか、青春を一緒に追える仕事って、いいものなんだろうなと。

勝手にだけれども、そんなことを考えていました。

ちょっと美化しすぎかな。

あの頃はあの頃で、必死に生きていた僕がいるのだけれど、今となっては時々、そんなふうに思ったりもして。

少しは大人になったのでしょうか。