決断の相談はしない。 〜決断の理由は好き嫌い、その根拠は「なんとなく」でいいと思う〜

2019年1月5日思うこと

何か物事を決断するときに、その決断についての相談は誰にもしない。

自分自身の決断に関しては、自分で決めて、自分で責任を持つ。

これは僕が10代の頃から思っていることです。

判断に関しては、信頼できる人に対してなら、相談することは必要だと思っていて。

あるいは、話を聞いてもらうことで、自分の中のものを整理していくこともありだと思います。

判断というのは、物事に対して論理的に考えていくこと。

たとえば、条件面を考慮して、どちらが総合的に自分自身にとっていいのか、ということを考える。

つまりは「損得」を考えることが、判断だと思うんです。

そうやってあくまでもロジカルに、多角的に考えていく「判断」があって、そしてその先にあるのが「決断」だと僕は思っています。

決断は、判断をして残ったものの中から、自分で「これだ!えいやっ」と選ぶこと。

つまりは”決めること”だと思っています。

判断の段階で頭をつかって吟味したのであれば、決断の段階で残っているのもは、ぶっちゃけどれを選んでも自分自身にとって正解なんです。

だからこそ、僕は決断に関しては、誰にも相談はしない。

すべて自分自身で決めるようにして来ました。

これは言い換えると、結局最後は自分で決める。ということなんですね。

その決断の理由は好き嫌いでいい。

そしてその根拠はなんとなくでいいんです。

「なんで?」とか「その理由は?」といわれても、「なんとなくです」とか「直感です」としか言いようがない。

その「なんとなく」を言語化していくことがビジネスでは大切だ。なんてことも言われますけれど、何でもかんでも理由があればいいというものではないんだと僕は思っていて。

もちろん、仕事をしていく上ではそれに対して理由づけをし、言語化していくことが大切なのでしょうけれど、本音を言えば、先に来るのはあくまでも「好き嫌い」であって、そしてその決断の理由を後から理由づけをする、ということなのではないでしょうか。

(こんなことを言ったら、先輩方に怒られるかもしれないけれど)

だって、自分の人生ですよ。

好き嫌いで生きなきゃ、どうするんだって話です。

にもかかわらず、その決断の段階で、あるいは「やる」「やらない」を決めるときに、誰かの意思に乗っかることは、なんだかすごく寂しい気もします。

あなたは誰の人生を生きているんだと言いたい。

それはもちろん、好き勝手、自分勝手に生きて身も蓋もない人生を過ごすとか、そういうことではない。

自分の好き嫌いで生きることと、自分勝手に生きていくことは、全く違います。

”直感”を大事に生きることと、何も考えずに”適当に”生きることが全く違うように。

結局は、自分にとって何がいちばん大切なのか、ということなんですね。

何を大切にして、誰を大事に思って、どんな信念で生きていくのか、ということです。

それを忘れずにありたいですね。

ここまで読んでくれて、ありがとう。