やりたいことを応援してくれるという、自立を促す厳しさ。〜畢竟(ひっきょう)、独学に勝るものなし〜

2018年9月16日大学時代

僕は大学時代に、物理学科の先生の中で、この人は自分の師匠だ、という人に出会うことができました。

そして今僕は、その先生の研究室で学んでいます。

うちの大学の物理学科では、研究室の配属が4年生に上がるときです。それまでの3年間は、ひたすらお勉強です。3年間いっぱいいっぱいに勉強をして、やっと大学で習う範囲の物理が、なんとか揃う、というイメージです。物理学という学問を大学で学ぶには、まだまだ先がある。

ちょうど3年生の終わり頃、僕ら学科の学生全員と、学年の指導教員(担任みたいなもの)で集まり、配属される研究室の割り振りをしました。

僕は、1ミリも迷いなく、師と仰いでいるその先生の研究室の配属希望を提出したのですが、実はその先生の研究室が、うちの物理学科で最も人気で倍率が高い。

うちの学科は国立大学の物理学科なので、1学年で大体40人くらいです。

40人中、約半数に近い7〜8名の学生が、その研究室を希望した。これはもう、異常なことです。

大体一人の教員の研究室あたり、2〜3名の学生が配属される仕組みなので、倍以上の学生が殺到した、ということになります。

なぜその先生に志望が殺到するかというと、それはその先生がやさしい先生だからです。

否、やさしいと思われている先生だからです。

その先生は今までの3年間の講義もほぼ毎学期担当なさっていましたが、それこそ超難問の試験をするわけでもないし、基本的には学生をみんなあげようとする。講義に出ない学生、ないし試験の成績が悪かった学生に関しては、後日レポートを課したり面接をしたりして、基本的には落とすということはしない。

いつも学生の話をニコニコ笑って聞いてくれて、学生のやりたいことを尊重して応援してくれる、すごく素敵な方です。

僕らは全員、先生がそういう人だということを今まで見てきて、知っている。

だから、この先生の研究室はやさしそうだ、というわけです。

でも、そんなことは全くない。

学生一人ひとりを見て、話を聞いて、やりたいことを応援してくれる。そのスタンスは研究室でも全く変わりません。

大学院に行こうが、就職しようが、留学しようが、その学生が決めたことを全力で応援してくれる。

でもそれは、断じてその先生がやさしいからではない。

4年間接してきた僕の目には、この先生はものすごく厳しい人に映っているんです。

やりたいことを応援してくれるという、自立を促す厳しさ

この先生の凄いところは、「研究者」と「教育者」の2軸で、すごく素晴らしい方だということ。

大学の研究者は基本的には研究機関であって、特に理学部の先生方は、研究さえしていればいい、というスタンスの人がものすごく多い。

学生に関しては、ほぼほぼ無関心で、自分のことだけに黙々と取り組んでいる。

もちろんそのスタンスもすごくて、国立大学の物理の先生方というのは基本的に天才ですので、研究に関しては一流であることが多い。

僕の師匠であるその先生もそうで、また近いうちに別記事で書きたいと思いますが、経歴は本当に半端ではない。

それこそ、日本を代表する研究経歴を持っている方。

そんな方ですが、一方で教育者としても、ものすごく優れている。

「大学は教育機関である」ということを常におっしゃっていて、学生一人ひとりがやりたいことを見つけて、自立していくことを全力で応援してくれる。

学生が言ったことに対し、決して否定することはせずに、サポートしてくれる。

その中で、これ以上はまずい、というデッドラインは先生の中で線引きがされていて、そのラインにかかりそうになったら手助けをしてくれる、という方なんです。

僕は、大学時代というのは自分の生き方を見つける時代だと思っています。

そして、やりたいと思ったことは、とりあえずやってみる。合う合わないは、やってみたその先にしかわからないものなんですね。

先生の、学生の自立を促すという教育は、実はものすごく厳しい。

誰にとって厳しいかというと、学生にとってもそうだし、その先生自身にとっても厳しいものであるはずなんです。

なぜかというと、先生は基本的には正しいであろうという、自分なりの答えは持っている。

だから、アドバイスをしようと思えば、いくらでも正解に近しいようなことを学生に教えることはできるんです。そして、教える側としては絶対にそっちのほうが楽なはずです。

実際に大学の多くの教授というのは、「こういう選択肢があるよ、こっちの方がいいんじゃない」という、一見学生に決断を任せるような投げかけをしているようで、答えを教える人がすごく多い。(あるいは全く無干渉の人。。)

でも、先生は学生の判断や決断に対して、ゼミの中でもそうであるように、答えを教えることは絶対にしない。学生自身が自分で考えて自分なりの答えを出すまで、一緒になって待ってくれるんですね。

それは、先生自身にとって、すごく厳しいものであるはずなんです。

僕ら学生にとっても、自立していくということは、簡単なことではない。

大学生という立場であれば、大学や、先生方や、時には親というような大人たちが、守ってくれるからです。

でも、社会に出た先に、守ってくれる人がいるとは限らない。

その先に、今度は自分が大切なもの、守りたいものができた時に、それらを守ることができる人にならなければならない。

だから自立していくんです。自分の足で立っていられるように。そして、自分の手で大切な人を守れるために。

学問の仕方と、学問をすることの厳しさを学んだ

僕がその先生から学んだことは、スタンスです。

自分の頭で考え、答えを出し、決断をして、進んで行くというスタンス。

生き方です。

自分自身が圧倒的に自立して、その先に今度は、教育をする側に回る。

先生は「いつかここに帰ってきて、教育者になりたかった」といいます。

日本を代表する経歴を持ちながら、地方の一国立大学に戻ってきて、学生の教育をしている。

その生き様が、僕にはたまらなく、ものすごくかっこいいものに見えるんです。

学問の仕方もそう。ある一定ラインのその先からは、未知の世界で、自分の頭で考えて、自分で答えを出しながら進んで行くんだと。

かっこいい言葉で言うならば「畢竟(ひっきょう)、独学に勝るものなし」ということ。

先生からは、学問をすることの厳しさを、学びました。

僕は残り半年ちょっと、この先生のもとで研究をして、学ぶことができる。

でも、大学を卒業した後も、きっと先生のところへ帰ってくる瞬間がある。

胸を張って帰ってこれるように、僕も全力で生きたいと思います。

ありがとう。