人生はまさしく”慣性の法則”

思うこと

ちょっと雑談だけれど、人生というのは面白いもので、人はどこかで決断を変えないと、今までやってきた延長線で次の選択をしてしまうという思考性を持っている。

「習慣が人生を作る」というけれどまさしくそうで、ほとんどの人は朝起きてから夜寝るまで、ほとんど昨日と同じような1日を過ごし、明日もまた同じような1日を過ごす。

人生を作るということは決断をするということだと思うのだけれど、決断を変えなければ人生は慣性の法則に従って「そのまま」であり続けようとする。ただでさえ人間は面倒くさがりの生き物だしね。

僕は今26歳なので、10年前は高校生だったわけだけれど、「あ、このままだとやばいな」と思えた10年前があったことに今は感謝している。

「井の中の蛙、云々」ということわざがあるのだけれど、あの当時「地元から出る」という決断をした人間とそうでない人たちの今は、全く違うものになっているような気がする。別に良し悪しの話をしているわけじゃあないけれど。

僕も社会人になって初めての県外、初めての一人暮らしを大阪でして2年が経ち、久しぶりに帰省をして地元の親戚に会った時にイロイロ言われた。
どうやら地元から出て県外で就職をしている僕は、親戚の人たちからすると「よくわからない親不孝者」という感じらしい。笑

田舎に生まれた人の中で、本当に優秀な人たちは一目散にムラ社会から脱出する法則というのは歴史が証明していると思うのだけれど、その原因は情報格差でも仕事の有無でもなくて、周りの人たちが作り出す「当たり前の環境」にあるのだと思う。

故郷に帰るのは錦を飾る時でいいという考え方は、いささか少し古臭いのかもしれないけれど、僕はそれで良かったと思っている。
まあ、10年後は「幸せなフリーター状態」を目指しているので、どこで何をしているのか分からないのだけれど…

考える時間を確保しようぜ、若者よ

昨日、時々僕のブログに登場する友人の1人(東京で社会人1年目で頑張っている彼)と電話で話をした。結構なハイペースだと思うのだけれど、なんだかんだと

「自分自身が本当にやりたいことって何だっけ」
「人生における優先順位と、その判断軸ってどうやって作るんだっけ」
「事業をやるにせよ、どこで生きるにせよ、目的がなきゃ決めれないじゃん」

というような話になる。いや、その通りなのだ。我ながら。

でも、結局は「それを考える」という結論に達して、結局明日も明後日もこれからも、今までと同じような日常を繰り返していったのが、世の中にいる多くの大人たちではないのか、という話。

だったらどうするのだ?という超・具体的な話を書こう。

・自分一人で「考える」ための時間をつくる
・毎週1時間でもいい、できれば毎日15分でもいい
・1年経って、自分の中に何も残らない時間の使い方は勿体無い
・例えば、どうでもいい飲み会に付き合うとか、好きでもない相手とデートしない
・その分、本を読んだり、散歩したりする時間に当てる
・アウトプットするなら、極力「蓄積資産」になるものがいい。文章を書くとか、プログラミングをするとか、何でもいいから「生産」をした方が価値が高い(という視点を持つことが大事!)
・消費者の立場だけでいないことことは大切。「時間」と「お金」を無駄に消費しない!

・「運動の時間を確保する!」と張り切らなくてもいいから、30分でも散歩する。そうすれば考え事ができる
・情報はできるだけ入手した方がいい、何もない中からは何も生まれないし、仮に何かが生まれるような人はこんなブログは読まない

というような話をしていた。3ヶ月で姿勢が変わり、1年で景色が変わり、10年でステージが変わる。人生は慣性の法則なり。

ということで、ダラダラしながらYouTubeを見る時間も大事にしようね。