人一倍、嫉妬をしてしまう自分が嫌だと思っている人へ。

2019年1月6日日々徒然

「なんでいつもそんなに淡々としているんですか?誰かに嫉妬したりしないんですか?」

と言われたことは、僕の人生で一度や二度ではありません。

もちろん僕も人間なので、そんなこともないのですが、でも他の人から見ると、どうやらそう見えるようです。

思えば、これは10代の頃から言われ続けていました。

勉強もそう。サッカー部時代もそう。

挙げ句の果てには母親から「あんたは幼い頃から冷めていた」と言われる始末です。。

こうして人との関わりの中で生きていますので、もちろん何も嫉妬をしないということはない。

ないんだけれども、おそらくそれは「お、あの人かっこいいな、羨ましい!」と思う程度で、もしかしたら嫉妬という感情ほど強いものではないのかもしれません。

僕自身は、あまり周りに興味がなくて、自分自身にすごくベクトルが向いている。要するに、ナルシストなんですね。自分自身が、これだ!と思ったものに対しては、ものすごく熱中する。

人一倍、何かに熱中する熱いものを持っている一方で、自分の興味のないものに対しては、とことん興味がない。だから、すごく冷めているように見られるけれど、本当はそんなことはない。

他人と勝負しようとか、そういったことは思わなくて、ひたすらに自分との対話なんです。

だからこそきっと、僕が勝負してはいけない土俵もたくさんあると思っているし、一方で、僕でなければならない生き方もあるのかなと。その生き方を淡々としていくことに意味があるのだと思っています。

嫉妬と向上心は、実は同じところにあるもの

僕は、嫉妬という感情はすごく大事なものだと思っています。

人間の中で一番強い感情が嫉妬である、という話も聞いたことがあるくらいです。

なぜならば、嫉妬という感情は、向上心の裏返しだから。

嫉妬と向上心は対極にあるものではなくて、実は同じところにあるもので。

向上心がなければ、他人に嫉妬したりはしない。

「ああ、あの人は自分よりもこういうところがすごいな、いいな、自分ももっとこうありたいな、成長したいな」

という感情が、嫉妬だと僕は思うんです。

嫉妬と向上心が表裏一体ならば、では、それらと対極にあるのは何か。

それは、「妬み」という感情です。

嫉妬と妬みは似て非なるもの。

そこには接点すらありません。

妬みというのは、基本的に下から上へ向かうベクトルで、かつ、上の人を下に引きずり降ろそう、という力が働くものです。

自分自身は何もせず、周りの人を下へと引っ張ろうとしていて、しかもそのことに自分自身では気づいていないことすらある。

だからこそ、ひたすらに卑しい。

一方で嫉妬のベクトルは、自分自身に向いている。自分自身の向上心の表れなんです。

だからこそ、人一倍、嫉妬していまう自分自身を嫌うのではなくて、受容することから初めてみては。

きっと、そんな自分を愛せるようになるはずです。

そもそも、人一倍、何かにムッとしたり、カチンときたり、あるいは「あの人すごいな」と思ったり、そういったことを感じる人は、人一倍に感情の振れ幅が大きい。感性が尖っているということだと僕は思います。

もしあなたがそういう人間ならば、あなたにしかできないことが、きっとあるはず。

その模範解答をつくっていくのが、あなたの人生なのではないでしょうか。

悲観することなんて、何もないはずです。

自分自身のいまを受容して、自分にしかできない生き方をしていきたい。

ありがとう。