今の時代、就職活動を控えた大学3年生の時期からインターンシップに参加するのが当たり前のように言われるようになった。

「就職活動のための、インターンシップ」という言葉に違和感を覚えるのだけれども、僕だけだろうか。

そもそもインターンシップって、そういうものなのか?

「インターンシップに参加したほうがいいですか?」
と言われることも増えたけれど、したほうがいいというものは存在しない。

それが大人のルールで生きるというものだ。

したいなら、しても良い。エントリーすることができる権利でしかないのだと思うのだけれど、世の中には「インターンシップは、大学3年生のうちに行っておいたほうが良い」という。

そりゃあ、行かないよりは行ったほうが良いだろう。

でも、行ったほうがいいからというくらいの理由で参加するインターンシップよりは、自分の好きなことに没頭する大学時代のほうがいいと思うのだが、いかがだろうか。

本を読む、映画を読む、部活に打ち込む、研究に没頭する。

そういう「人生の肥やし」としての大学時代のほうが、100倍有意義ではなかろうか。

という前提があるけれども、それでも現実問題やっぱりインターンシップに参加する意味というものを問われる世の中だと思うので、インターンシップに参加した経験と、ビジネス的な側面を踏まえて書いてみたいと思う。

アルバイトとインターンシップは何が違うか。

よくある勘違いに「アルバイトとインターンシップの混合」があると思う。

同じような意味で使われるが、全く違う。

アルバイトは、時間労働力の提供であり、インターンシップは生産者側の一旦を担うということ。

ようは「誰でも良いからお願いね」というものか、「社会の仕組みの中に生産者として参加してね」ということの違い。

Wikipediaにはインターンシップの定義として「特定の職の経験を積むために、企業や組織において労働に従事している期間」とある。
そう、インターンシップとは「特定の色の経験を積む」ための期間だということなのだ。

以前に記事で書いたけれど、社会に出るというのは「生産者側に立つ」ということ。

学生時代までは、消費者。お金を払って、商品を買う、サービスを受ける、という消費のみ。
一方で社会に出るとは、何かを生み出す側、作る側に立つということなのだ。サービスを提供する側、ということ。

就活をしようと思ったら実践すべき7つのこと

翻って、その視点でインターンシップを見てみようよ、ということ。

 

一般的に言われる「インターンシップを通して、社会を知れる」というのは、半分本当で、半分嘘だ。

実際にビジネスサイドの体験をしてみるという点では、社会の一端を知るきっかけになるだろう。

「1dayインターン」という1日限りのインターンシップも溢れているが、それは実質ただの「会社紹介」なので、よほどのことじゃない限り「社会を知る」ということではなく「職業体験」的な位置付けになる。

一方で例えば1ヶ月とか、数ヶ月とかの場合は、もう少し中長期的な視点で社会を眺めることができる。

ただし、注意すべきは「労働力を安く取れるから」という点で、美辞麗句を並べたインターンシップも存在するので、ちゃんとインターンシップとしての本質を見るということ。
たとえば「このリストに片っ端からテレアポをしてよ」的なインターンシップに、どんな意味があるのか。

「いや、そんなことはない」と怒る会社もあるだろうから、だったら正々堂々と論を主張してほしい。

 

学生の皆さんに言いたいことは、2つある。

1つ目。あなたは、なんのためにインターンシップに参加しようとしているのか、ということ。

別に不純な動機でもいいのだけれど、目的を持って参加することは非常に重要だと思う。
「なんとなく」でもいいのだけれども、「いまは、なんとなく」だという自覚と「いつか明確にしよう」という意識は持っていたほうが絶対いい。

そしてもう1つは、あなたが参加しようとしている会社や事業やインターンシップは、どれだけ本気ですか?ということ。

インターンシップに本気じゃない会社はご臨終

インターンシップに本気じゃないということは、採用に本気じゃないということだ。

採用に本気じゃない会社は、あなたの方からサヨウナラしていい。

なぜなら、採用に本気でない会社はいずれ衰退すると相場は決まっているからだ。

中小企業にも関わらず、社長が採用に出てこないような会社は、まずやめておいたほうがいい。
かの有名なDeNAの南場社長は、いまだに会社説明会に顔を出す。

翻って、あなたが行きたい会社は、採用に本気だろうか。

あなたがいる会社は、採用に本気だろうか。

本気で自分たちの会社の未来の仲間を探している企業はカッコいいし、事業に本気で打ち込む企業はカッコいい。
と僕は思うのだが、いかがだろうか。

一度でいいから、作る側の立場に立ってみる

インターンシップは、労働力の安売りではない、と書いたけれど、1つだけ例外がある。

何かを作る側の立場に立ってみるという機会に挑戦できるのであれば、それは多少大変でもジョインしてみる価値があると思う。

そういう機会に巡り会えるかどうかは別の話だし、実際になかなか出会えな可能性だって大いにある。けれど、それを知っているか否かで、チャンスをつかめるかどうかは変わってくると思う。

基本的にあなたが知っている有名な会社では、キラキラ先輩が「このインターンシップの目的は〜」と語り出す。
ようは、その大半がきちんと設計されたものであるということだ。

それはそれで良いのだけれども、設計されたものに乗っかるということは、完全に「作る側」と「作られた仕組みに乗っかる人」という構図の中に組み込まれることになる。

それはそれでいい経験になると思うが、一方でこの世には「何も決まっていない状態」のインターンシップがあるのも事実。
(それを「インターンシップ」と呼ぶかどうかは微妙だね。笑)

でも、実際僕自身がその白紙状態から一緒に絵を描いていくことに取り組むことができた経験からいうと、圧倒的にそちらの方が良いし、今からの学生たちには機会があれば挑戦することをオススメしたい。

作られたインターンシップを経験するのか、それとも、そのインターンシップという概念を作る経験をするのか、の違い。

そしてその違いから得られる経験の濃さは、見た目より遥かに大きい。

どんなに精緻に作られたインターンシップに参加するよりも、インターンシップを作る経験には叶わない。