毎日書くことは大きな意味を持つ

2018年10月27日書くということ

2017年の1月も、あと2日で終わろうとしています。

いま僕は、日曜日のお昼に自分の部屋でパソコンに向かっています。

去年の年末はわりといろいろバタバタしていた気がして、年が終わるな、年が明けるな。もう新年かあ。という風に思っていた1月も、もうすこしで2月へ。

普段の僕は何をしているのかというと、まあ大学の卒業研究をしつつ、それ以外の時間はこうしてブログを書いたり、本を読んだり。

1日の中で1時間はちゃんと歩いて運動をして、あとは音楽を聴いたり好きなことをして過ごしています。

ブログを書くといえば、去年の4月に始めたこのはてなブログですが、まだ1年も経たないんですね。

毎日ブログを書くという習慣は昔からあったので、まだ1年か、という感覚ですが。

このブログはいま、僕にとっては結構な数の人に読んでもらっていて、毎月約5000アクセス(〜6000PV)くらいになっているようです。

ほぼ毎日200弱のアクセスがあって、100人以上の人が読んでくれているんですね。

こんなにいろんな人に読んでもらえるようになるとは、始めた頃はまったく思っていませんでしたし、そのつもりもなかった。

ものすごく個人的な日々の営みとして淡々と書き綴っていたのですが、いまはこうしていろんな方に読んでもらえることが、ひとつ楽しみでもあったりします。

毎日ものを書くことは大きな意味を持つ

僕は思うのですが、ブログというのは個人的な営みであるにせよ、ある程度は公に文章を書くということです。

自分一人で書くことに変わりはないのだけれど、同時に読んでくれる人がいるという場所がブログなわけです。

読んでくれる人にとっては、たまたま目にしたブログが毎日更新されているということは、読む上で意外と大きな意味を持つような気がする。

僕のブログは「〜〜の仕方」というようなノウハウ系でもないし、「〜〜すべき」というライフハック系のブログでもないわけで、つまりは単に僕の思考とか日常を書き綴っているだけの極めて個人的な内容なわけです。(まあ就活に関しては一定の蓄積型で書いてはいるけれども)

誰かの日常の断片の記録としてのブログを読むにあたっては、やっぱりその日常が流れている感覚がブログにあることは大事なわけです。

日常的なブログにおいて、数年前で更新が止まっているブログだとすれば、やっぱりそのブログを毎日読もうとは(少なくとも僕は)思わない。

別に必ずしも毎日更新する必要があるとは思わないけれど、その日常が確実に歩を進めている感覚があることは大事で、例えば1週間に1回でもいいから更新されていることは、書いている人が進んでいる確かさがブログに現れる支えになると思うんです。

そしてそれは同時に、書いている人にとっても大事な意味を持つんだと思っていて。

少なくとも僕は、毎日(あるいは数日に一度)書くことは大きな意味を持っていて、歩みを止めないというか、自分自身が着実にどこかにーー別に前でなくてもいいし、立ち止まっていてもいいけれど足踏みをしたり思考をしたりしているということーー進んでいる感覚、あるいは自分自身がいまに生きている確かさみたいなものがあって、それは日々の中で書くことに大きく結びついているんです。

その結びつきは別に書くことによるものでなくてもよくて、人によっては、それが仕事だったり、大事な人だったり、音楽だったり、フットボールだったりするわけです。

それがただ僕の場合でいくと、そういった別の要素もあるけれど、それと同じかそれ以上に「書くこと」が大事なんだということです。

書くことが大事だからこそ、それ以外の「書かないこと」も同じように意味を持つような気がする。

もちろんこれから先はわからないけれど、今の僕にとってはそうだということです。

いつも、読んで下さってありがとう。