今朝の日経新聞に載っていた記事。
名古屋大学と岐阜大学が法人統合の方向で話をしているという。
これはつまり、一つの法人(運営組織ですね)が、複数の大学(今回の場合は名古屋大学と岐阜大学)を運営する、というもの。管理部門の統一ですね。
大学も、サービス(研究や教育)の提供により、お金と人(教員、および学生)を集め、経営をしていくという意味では、民間営利団体と同じくらい熾烈な市場競争内にあるわけです。
特に私立大学は数が多い(全大学の8割を占める)ため、より差別化を図っていかなければ、生き残りができないわけです。
ということで、旧帝大の一つである名大がこの一歩を踏み出したということは、日本の大学という高等教育において、かなり革新的な動きだと僕は思うんです。
今後、大学がどのように生き残り戦略を図っていくのか?というところは、また別の記事で書くとして。
ここでは、僕の2つの予言(というか予想)を書きたいと思います。
大学の圧倒的な減少の予言
今後、大学は圧倒的に数が減っていきます。
そもそも、こんなに大学は必要ありません。分不相応な大学が多すぎる。
生き残りを図ると書きましたが、そもそも無理な大学も多いです。
それはきちんと気づいている人は気づいているでしょ?という話。
まずは、私立大学。次に国公立大学も減少の方向に進みます。
みなさんが思っている以上に、早い時代にそうなるはずです。
なぜならば、それが自然の摂理だから。
少なくとも、戦後の高等教育として大学が位置付けられていたくらいの規模感に落ち着くまでは、減少の一途を辿ると僕は予想します。
特に各都道府県に位置付けられている国立大学も、各地域に1〜2つ、全国で20〜30大学くらいまでは減っていく方向に進むのではないかなと。
「医学部」と「教育学部」という機能を残して、あとは研究機関として。
ちょっと過激かな?
でもね、大学運営に携わっていらっしゃるみなさん。
薄々気づいていらっしゃるかと思いますが、規模だけ大きくなった組織は、いずれ市場に求められなくなりますよ?という話です。
「学歴は関係ない」は嘘。学歴社会はまだまだ続きます
数十年前から「今後、学歴は関係ない時代になる」と言われ続けていますが、それは嘘です。
僕らの親の世代から「学歴社会は終わった」と言われ続けているわけですが、結局、社会の本音は「学歴社会」なわけで、周りを見渡すと、一目瞭然じゃないですか?という話。
学歴社会がなくなることはありません。
ただし「学歴社会は終わった」というのは、これから先もずっと言われ続けます。
何故ならば、いわゆる「高学歴」と呼ばれる「国公立上位10校」+「医学部」+「有名私立大学」の全ての人数を足し合わせても、全体の2〜3%にしかならないわけで
残りの97%の人たちに向けて、「学歴社会は終わった」と言い続けるわけです。
極論に見えますか?タブーかもしれませんね。
ですが、このブログを読んでくれている10代の人がいるならば、やっぱり僕は「きちんと勉強をしておいたほうがいい」と伝えたい。
あの頃の自分に「勉強について」を語ろうと思うならば、やっぱり「やっておいたほうが、はるかにいいよ」と伝えたいです。
人は、誰かの話を有難がって聞くとき、その誰かというのは2つしかありません。
1つは、自分より頭のいい人。
もう1つは、自分よりお金持ちの人。
未来永劫、この仕組みは変わらないという前提のもとでいうならば、人生の中でいくつか押さえておくべきターニングポイントが必ずある。
特に大きなものは2つ。最初は大学受験。次に、就職。この2つです。
いま、10代のあなたがこのブログを読んでいるならば、やっぱり勉強はやっておいたほうがいいです。
僕は、いい大学に行けば人生が成功だとか、そんな次元の話をしているわけではありませんよ。
いい大学に行けば、必ずしも幸せな人生を送れるとも思いません。
本当に幸せな人生とは、自分自身で考え、人生を選択していけることだと僕は思うからです。
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普段とは逆のことを書いているように見えるかもしれませんが、そうではない。
それが社会の本質だと僕は思っています。
翻って、自分自身が「いま、この瞬間」からどうするか?ということ。他人事ではありません。
大切なことは、自分自身の「サイズ」を知ること。
器ですね。
大きいか小さいかではなく、いかに自分のサイズをわかっていて、それを踏まえて、自分はどうするか?を考え続けることだと思っています。
だから今、僕はここに立っているのだと思う。
まだまだ、いきます。いつも、ありがとう。
2018年12月追記
受験産業の地位を押し上げた和田秀樹さんの話
受験産業の地位を押し上げたのは、間違いなく30年ほど前の和田秀樹さんだと思います。
それまで、塾や予備校の先生というのは「地元の中位公立高校→私立大学」のような経歴の方々が多かった(らしい)けれど、「灘中学校→灘高校→現役で東大理科三類(医学部医学科)」という和田秀樹さんが現れたのです。
少々冴えない人たちがいる産業をぶった切り、「受験を語る人こそ学歴って必要だよね」と世の中に問いかけ、受験産業の地位を押し上げて今の業界がある。
僕の今いるコンサル業界の大前研一さん、堀紘一さんなども然りで、業界の地位が低かったものを押し上げた人たちが、今を作っているのです。
和田秀樹さんは田舎の落ちこぼれたちに夢を与えた
和田秀樹さんが受験産業全体の地位を押し上げたと同時に、田舎の落ちこぼれの中学・高校生とその親御さんたちに希望を与えたことが素晴らしい功績だと思うのです。
特に「受験数学は暗記だ!」とか「バカでも早慶は受かる」というものは賛否両論はあれど、確実に世の中の流れを変えました。
今の時代でいうと、林修先生が予備校講師の地位を格段に押し上げ、ビリギャル関係者然りで受験敗者に勇気を与えたのだと思っていて、回り回って18歳まできちんと勉強に打ち込んだ人たちはやっぱりすごいのです。
そして、上に書いていますが結局はこれから益々学歴社会になると思っている。
大学の数は減るし、地位は上がるのです。
2019年9月追記
学歴がないと正社員になれない時代が到来する
なんだか煽り記事みたいで恐縮なのですが、選べる立場なら絶対に大学は進学しておいた方が良い。
よほど何らかの才能があって「エンジニアスキル一本で食っていけます」とかそういう人は別だと思うけれど。
上で書いた理由に加えて、日本市場全体感の話をすると、日本企業の多くは「グローバル化」と言いつつもほとんどドメスティック・ドメオちゃん。
見ている先は99%が日本国内です。
資本主義の原理の話をすると、ビジネスゲームはシェアの奪い合いですから、日本国内で奪い合い競争をしているわけです。
日本市場全体が伸びている(拡大しているということ。経済成長ですね)状態だと、社会全体が上りのエスカレーター状態なので、「普通=上昇」ということで、現状維持をしていれば自然と企業は稼げたわけです。
企業が稼げるということは、その分だけ社員に還元される分が多くなり、「今日より明日、今年より来年、良くなるよね」という素晴らしい時代が過去にあったわけです。それは事実。
でも、今の時代は違います。
日本社会全体が下りのエスカレーター状態なのですから、「現状維持=衰退」な訳です。
となると、今日より明日悪くなる、今年より来年悪くなる、という状態も”当たり前”ということです。
(ちなみに、日本国は景気がいい!と叫んでいるアベノミクスは嘘ですからね)
それは縮小し続けている日本国内市場で奪い合いをしていれば、そりゃあしんどいよね、というのが当然の帰着。
で、あるならば、企業はどう考えるでしょうか・・・?
そう、日本国内はもうお腹いっぱいだよね、だったら海外に行こうよ、となるわけです。
そうなると、どうなるか。
仕事で国外に行くためには、就労ビザを取得しなければならないわけですが、それはどう考えても「大卒」という資格が大きな基準になるわけです。
何十年先はどうなるのかわかりませんが、少なくともここ10年、20年くらいはまだまだ「就労ビザの発行は、大卒以上で」というのが当たり前のはず。
となると、今よりももっと厳しい学歴社会の到来です。
だって、大卒じゃない人は企業から「ん〜、大卒じゃないなら、海外に行けないから、うちで雇うのは難しいなあ」と言われる時代ということなのですから。
ということで、まだ選べる立場にある10代の皆さん。
行けるものなら、大卒という資格は持っておいた方が得ですよ。
そして行けるものなら、より高学歴を目指した方が、人生トータルで見るとお得だと僕は思います。