北野唯我さんという方をご存知だろうか。
ワンキャリアという会社で『天才を殺す凡人』というnoteを書き、その内容が書籍化され一躍有名になった方。

その後『転職の思考法』という著書を出し(ワンキャリアという会社は人材会社、特に新卒就活領域に特化している)、業界ではかなりの有名人。

まだ30代半ばというから、世の中は実力さえあれば年齢関係なく抜きん出るという好例だと思う。

 

「現代の魔術師」と呼ばれる筑波大学の落合陽一さんが、NewsPicksとコラボしているネット番組「WEEKLY OCHIAI」(ウィークリー・オチアイ)という番組に、その北野唯我さんとの対談が2019年の8月にアップデートされていて、とても面白かったのでその内容を書いてみようと思う。

 
北野唯我さんの『転職の思考法』はこちら↓

 


このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

転職に必要なのは「情報」でも「スキル」でもなく、確かな「判断軸」である。一生食えて、心から納得のいく仕事を見つける方法。

このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

 

 

就活生は悪くない!?新卒一括採用で歪んでいるのは企業側だ!

番組が始まって冒頭から、北野唯我さんがぶっこんでくる。

「アップデートしなければならないのは、企業の人事と採用だ」

確かにそう思う。

なぜかというと、学生側から見たときに現代の「受験→大学→就職活動(就活)→就職」という流れは、どう考えてもミスマッチの仕組みだからだ。
この仕組みは企業側の都合、要は大人の都合によって築き上げられたもので、学生や若者にとっては都合が悪い。

要は学生側は最初から不利な立場にあるわけで、例えば就職には「配属リスク」という問題が常につきまとう。

いわゆる「総合職」として採用された暁には、入社後に自分がどんな仕事をするのか、入ってみなければ分からないという現実がある。
「適性を見極めたのち、配属をする」というのは聞こえはいいが、それは企業側の都合であって、その論理が成り立つ(ように見える)のは「採用する人と、現場の人が別で存在する」から他ならない。

「採用する人=人事や採用担当」は、採用したあと各現場に配属をし、基本的には配属から先は現場にお任せをする。
一方、各現場の人は配属された人が辞めたら辞めたで、活躍しなければしないで「もっと優秀な人を採用しないからだ」という言い訳ができる構図が出来上がる。

言い訳をするかどうかは置いておき(企業や人によるのだが)、実際問題として「言い訳をすることができる」という構図はどう考えても責任転嫁につながる。

 

実際、今日この瞬間(このブログを綴っている2019年8月26日現在)に、僕の部署に入ってきた今年の新卒(東京配属)の人が8月末を持って辞めるという社内人事が広報された。

その人事発表の記載には、退職の理由として「自身のやりたい方向性を見つけ、その道での将来を志すため。」という記載があるが、こんなものは嘘っぱちだということは全員が知っている。

別にその発表をした人が悪いだとか、本人がどうだとか、現場の受け入れがどうだとかを言いたいわけではない。
退職するその人の志の大きさがどうかは分からないけれど、実際問題として「まあ、そういう人もいるよね」ということで、組織としてどんな責任があるかなんて誰も分からないまま、1ヶ月もすればその人のことは誰も覚えていないのだ。(と思う、実際問題として過去2年間そうだった)

人の人生をなんだと思っているのだろう。

気づけば僕のこの組織に属して2年半が経つ。
自社の新卒採用にも携わる機会も増えてきたが「うちの会社がいいよ!ぜひ来てよ」なんて、前途有望な若者には口が裂けても言えない。

僕のいる会社がどうだとか、そういう話をしているのではない。

そもそもの仕組みとしてどうなんだ、という話。
じゃあ僕らの会社に入ったとして、実際に数ヶ月で、あるいは1年で、辞めていった人たちの顔がどうしても浮かんでしまう。

大人側として、今を生き抜く学生たちにはものすごく申し訳ない気持ちになる。

なるほど、だから僕はこうして少しでも就活生が、大学生が、これから社会に出て行く若者たちが、自分自身でベストだと思える社会の入り口を選ぶことがでできる材料を提供したいと思っているのだと思う。

結局は、自己責任。
そんな風に大人に言われたら、若者はどうすれば良いのか。

そんな社会に、何よりも自分自身の人生に、期待することができるのか。

ギャップイヤーを持とうぜ若者よ

海外では当たり前の考え方に「ギャップイヤー」という考え方がある。

Gap yearだ。
「卒業後に進学や就職をせずに、自由に過ごす時間」という定義があるが、例えば大学を卒業して就職をするまでに1年なり2年なり、自分でやりたいことに挑戦する時間を持つ、という考え方。

例えば、その時間に海外に行ってみても良いし、自分でNPOをやってみても良い。
やりたい研究をしてみても良いし、行ってみたい企業でインターンをしてみても良い。

進路やキャリアを考えるための材料を自分自身の中に入れるため、いろんなことに挑戦する期間。学生と社会の間(gap)の時間(year)という考え方が、日本以外の国では当たり前なのだ。

ところが、ご存知のように日本は社会のルールも自分のやりたいことも考える時間や機会がないままに、レールに乗った先行き見えない「就職活動」という仕組みに自然と組み込まれてしまう。

今ではようやく情報がオープンになってきて、就職活動はあくまでも1つの手段であるという考え方も広まってきたけれど、とは言えやっぱり多くの人たちは思考停止のまま社会の仕組みに組み込まれ、社会の荒波に放り出されて行くのだ。

 

僕がいま、「自分のやりたいことが分からない」と思っている就活生に向けて何か伝えられることがあるならば、学生の間にギャップイヤーを持つことをお勧めしたい。

何も卒業後に海外に行けということではなくて、立ち止まって見る時間を持つことと、そのために使えるものは使おうぜ、ということだ。

日本はいまだに「新卒」という考え方が王道のため(良いかどうかは別の議論)、大学を卒業をしてしまうと、現実的に就職のハードルが上がるというよく分からない仕組みが存在する。

この仕組みはもうしばらく続くだろうから、だったら、その仕組みを利用してみてはどうか、という提案である。

具体的にいうと「休学」という最強の手段を取るのだ。
特に国公立大学というのは、休学中は学費を支払う必要がなく、正々堂々と1年なり2年なり、「学生という身分」を保持したまま、自分のやりたいことに挑戦する時間を作ることができる。

あるいは私立大学でも、1年という時間をお金を払って買うのだ。

親に頭を下げても土下座をしてもなんでも良いから、仕送りをしてもらう、1年分余計に、自分の人生に投資をしてもらうのだ。

例えば親によっては(親によっては、だけれど)子どもの将来のために、あるいは花嫁行きの時用に、別口座で貯金をしていたりもする。
これはあくまでも最終手段ではあるが、30歳の自分ではなく、20代前半の時にそのお金を投資してもらうのだ。

絶対に10年後回収できる。人生を後悔した時に花嫁資金が残っていても意味がないのだと僕は思うのだがいかがだろうか。それよりも人生の前半に時間という初期投資をし、しっかりと人生を耕した上で一歩ずつ進んでいったほうが、僕は良いと思う。

 

現実問題、例えば奨学金というものを「投資」とみるか「借金」と見るかによって、人生の質は180度変わる。

その辺りも自分の人生と、もちろん親と、信頼できる大人も含めてきちんと話し合った上で、自分なりの人生の肥やし方を見つけて欲しいと思う。

基本的には転職も同じ構造である、なぜ就活の時と同じ過ちを繰り返すのか?

今の時代、転職する前提で就職を考えている就活生は多い。

もちろん時代の変化がそうなっているから、当然と言えば当然のことだとは思う一方で、「就活にミスっても、転職でカバーできるだろう」と甘く考えるのは、同じことを繰り返すだけだ。

業界柄、僕自身もわりとその辺りの情報が入ってくるが、基本的に「年収アップ」で転職できる人というのは、半分もいない。

世の中の大半の人たちは「やりがい」という美辞麗句に陶酔しながら、転職によってキャリアダウンを繰り返して行く。

「お金よりやりがい」を謳うのがブラック企業の共通点だが、人材業界もそれに加担しているというのは反省すべきところかもしれない。

さて、転職の話だが、なぜ新卒の時にあれだけ「就活生側の立場ではなく、企業側の論理で物事が語られるのか」と痛感させられたはずなのに、話が転職となった途端に「もしかすると、やりがいも、年収も、スキルも休日もたくさんある企業にいけるかもしれない!」と思うのだろうか。

とまあ、少しダークな話になりそうなので、元気が出る話を書こうと思う。
そのために僕はブログを書いているので、悲観的な話はやめにしよう。

今の会社に勤めながらで良いから、マーケットに出てみる経験をしよう

就活を通り過ぎた社会人の人たちに向けても、具体的な指針を提示しようと思う。

まず、前提として会社員というのは非常に閉鎖的な環境にいるということを自覚してほしい。従業員という仕組み上、そうならざるを得ないのだ。

何故か。

それは雇う側(資本/経営者)と雇われる側(従業員/労働者)という仕組み上、そうならざるを得ない。つまり、

・雇う側は、お金を支払う代わりに、労働力を搾取する
・雇われる側は、労働力を提供する代わりに、固定の給料をもらう

という構図があるからに他ならない。

よく考えてみれば、例え成果を出しても出さなくとも毎月決まった日に、口座に給料が振り込まれるというのはある意味すごい仕組みなのだ。

となると、会社側はこう考える。

「従業員には、出来るだけ思考停止で、言われたことだけをやっていてもらおう」

「優秀な社員を雇いたい」と企業は言うけれど、それは経営者が言っていることではなくて、企業に勤める人が「言わされていること」であるということを知ろう。そもそも企業人と経営者が言う「優秀さ」の定義は全く違う。

経営者の本音は「(自分を超えるほどではない程度で)優秀な人がほしい」と思っている。
世の中の経営者たちは当然言葉にしないだけで、みんな知っているのは「本当に優秀な逸材は、従業員で終わらない」ということだ。

 

さて、話を戻して、会社員という仕組み上、外の情報が入りづらい環境にいるというのは当然なのだ。
よく言われる「外の情報を知ろう、触れよう」というのは掛け声だけで、実態としては意図的に閉鎖的な環境が作られている。

あなたも社会人ならわかるだろうし、一度は思ったことがないだろうか。

「このままこの会社に居続けたとして、自分個人としては何ができるようになるのだろうか」と。

  

ここで具体的な提言を一つ。

「個人として、マーケットに出る経験をしよう」

会社内に目を向け続けている限り、社内のみでの競争に晒されている。
それで特をするのはあなた自身ではなく、経営者だけだ。

マーケットに出るといのは、転職を勧めているわけではない。

転職をするということは、自分の身を置く場所を「社内の競争」から「転職の市場競争」に変えただけで、本質的にはその競争原理は何も変わっていない。

もっと大きなマーケットに身を置こうと言っている。

勿論、起業の勧めをしているわけでもない。

どういうことかわかるだろうか?

 

例えば、駅前で路上ライブをしている弾き語りシンガー。
この人は自分自身でマーケットに出る経験を知っている。わかるだろうか。

あるいは、現代の小・中学生のなりたい職業No. 1であるYouTuber(ユーチューバー)もそう。その中で売れっ子の人たちというのは、非常に強くマーケット感覚を持ち合わせていると言える。

駅前の弾き語りシンガーは、「自分というキャラ」×「自分の歌」をどうすれば多くの人に聞いてもらえるのか、という試行錯誤をしている。

カバー曲を増やせばいいのか?バラードは聞いてもらえないのか?サラリーマンが多い街よりも、若者が集う街の方が良いのか・・?
SNSでの発信をしているが、YouTube動画はサムネイル画像をキャッチにしてみたらどうだろうか?他のアーティストとコラボをした方が良いのか・・?

YouTuber(ユーチューバー)もしかりで、単にアホみたいな企画をしても飽和状態なのか?自分の得意なことと掛け算できないか?LIVE型と組み合わせた方が良いのか・・?今の若い人たちは一体何を求めているのだろう。

という風に。

そう、なにも転職や起業をせずとも、自分自身もしくは自分自身で作ったもの(音楽、料理、文章、なんでも良い)を、マーケット(市場)に出し入れしてみようよ、ということ。

これは効く。非常に効く。なぜならば、直接マーケットからフィードバックが返ってくるからだ。
シンガーであれば、ほとんど素通りされていたのに今は毎回10人は立ち見ファンがいる、だとか、YouTuberであれば再生回数が3倍になった、だとか。

これは日々の会社の仕事とは決定的に違うもので、一番の違いはフィードバックが上司や得意先という極めて限定的なものか、あるいはマーケット全体という広さなのか、ということ。

 

会社内にしか居場所がないような人たちは、自分自身がマーケットに晒される経験をほとんどと言っていいほどしていない。

自社の常識、取引先の顔色を見ながら、業界の慣習に従うものだという洗脳を受けているうちに、いつの間にか自然の原理からはかけ離れた感覚になってしまうのだ。

だからこそ、例えばこうしてブログに文章を書いてみるというのも、実は直接自分の作ったもの(文章やコンテンツ)でマーケットとやり取りをしているという点では、マーケット感覚を鍛えるという点で非常に理にかなっている。

どういう文章を書けば、顔の見えない向こう側の人たちに多く読んでもらえるだろうか?という試行錯誤は、適切なマーケット感覚を養うという点でとても鍛えられる。

料理が好きな人は、自分の料理を生かした発信をしてみればいい。
音楽でも、制作物でも、趣味の読書でもプラモデルでもなんでもいいから、直接マーケットと取引をするという経験を積み重ねることで、実際に世の中がどう流れていて、社会が何を求めているのか?ということを知ることができるのだ。

「なぜ会社員は稼げないのか」を教えてくれた経営者の話

3年前(2016年)の記事だが、ひとつ参考になる記事を紹介したい。
「なぜ、会社員は稼げないのか」という少々過激な内容だけれども、上で書いた「マーケットに晒されているか否か」という観点がよくまとめられて書かれている。

僕は僕の書いた文章やコンテンツを、マーケットに直接「売る」という経験をしている。これがまた面白い。

一緒に何をか挑戦したいという人、あるいはそもそも何を売ろうか・・?と考えた人は、僕でよければ一緒に考えることはできると思うので連絡をくださいね。

直接マーケットに触ることで「マーケット感覚」を身に付けよう

ここでは起業の勧めをしているわけでも、副業の勧めをしているわけでもないのですが、「複業」に挑戦することはものすごく大きな意味を持つと思う。

「複業」とは文字通り「複数の業を持つ」ということだが、世間で言われる「副業=サブで稼ごう」というようなことではなく、自分自身が直接マーケットに触れることができるような、本業とは異なるものを持つことで、マーケット感覚が身に付くということ。

実際にどんな「価値」が求められているのかという直接的な体験をすることによって、今自分がメインでやっている仕事(本業)が世間一般で見たときにどんな立ち位置になのか?という視点を、客観的に持つことができるようになる。

ひょっとすると、今自分が毎月頑張って挑戦して給料をもらっている仕事は、世の中一般的にみるとかなりズレているかもしれない・・という結論になることだってあるだろう。(むしろ、そんな人も多いかもしれない)

それが良いとか悪いと言う話ではなく、そうやって自分自身の立ち位置を改めて見つめ直す材料をもう1つ手にしてみてはいかがでしょうか、という話をしている。

 

超・具体的な話をしよう。

今までの20数年、あるいは30数年かもしれないが、これまでの人生を振り返ってみて、あなたが好きだったこと夢中になれたことは何だろうか?

好きだったことという表現が曖昧ならば、誰かに強制されずともついついやってしまっていたことは何か?思い出してみると良い。

それを何らかの形で、発信してみることから始めるのはどうだろうか。

例えば、僕の場合。

10代までについやっちゃっていたこと、好きなことは、今でも続いている。例えば、

・本を読む、ひたすら本を読む→「いろんな情報を知りたい」ということで今はスマホでニュースアプリやKindleも使っている
・物理や数学→さすがに今では問題を解いたり研究をしたりはしなくなったが、総合的な科学や技術(テクノロジー)の最先端の情報は常に知りたいし、仕事上、触れ続けている
・サッカーに打ち込む→今現在は体の関係でサッカーをすることはできなくなったが、ほとんど毎週サッカーの試合をネットで見ている
・将棋→これは今もなお継続中で、毎日何かしらの研究をしたり、ネット対局をしている(ちなみに僕は有段者!)
・音楽→ピアノ、ギターをずっとやっていて、今は大阪の一人暮らしでなかなか楽器を弾くのは難しいが、毎日何かしらの演奏動画を見ている
・生活やファッションの雑誌→いろんな人の生活を見るのが好きで、今はInstagramやPinterestを毎日見る
・日記や文章を書く→自分の考えたことを言葉にするのが好きで、今は日記(手帳)、SNS(Twitterなど)、そしてブログを書いている!

というようなことだろうか。探せばもう少し細かいものもあると思う。

共通しているのは「探究心」なのだが、それは生活も仕事も、10代の時も20代になった今も変わらないということ。

そして僕はそういうものを文章を書くということによって形にし、インターネットを通して発信することで、直接マーケットに触れ続けているのだ。

僕の場合は幸いなことに、そのトライアンドエラーを繰り返しながら、生き方とかコンテンツがお金に変わっているのだけれど、「稼ぐ」という観点は後からついてくるものだし、それで良いと思う。

大事なことは、自分自身の好きだったこと、得意だったこと、ついやっちゃっていたことを思い出し、それを形にして発信してみるという小さな挑戦だと思う。

 

正直な話、これだけ世間ではやれ「転職だ、やりがいだ」と謳われているのだけれど、多くの人にとって転職自体は手放しでお勧めできるものではないと思っている。

人材会社にいて転職斡旋に関わる人たちが口を揃えるのは、転職理由で最も多い理由は「人間関係」だという。

つまりは、職場にいる上司や同僚という、◯◯さんと馬が合わないから、自分自身の人生を賭けて転職をする、という決断をするということだ。

どうだろうか。実際に他人事として見てみると、どのように感じるだろうか。

翻って、大事なのは他人事ではなく、あなたのことだ。

「やりがい」も「年収」も大事だと思う。もちろんそうだ。

 

僕にとって転職とは何かというと、明確に答えは出ている。

それは、100%嘘偽りなく本心で、自分自身が後悔しないと決断できると思うのであれば、その転職に挑戦してみても良いと思う。

逆にいうと、誰かに相談をする、例えば親や彼女や知り合い、友人、同僚、上司、諸々。
そういう人たちに「ねえ、転職をしようと思っているんだけれど、どう思う?」というような転職ならば、そしてそこに「反対と言われたらどうしよう・・」と潜む気持ちがあるのであれば、転職後に絶対に後悔するのでやめておいたほうがいい。

就職の際も同じことだ。
自分で決断をして、後になってみて、お母さんのせいにも、学校のせいにも、友人のせいにもしないと心底思えるのであれば、その挑戦は正解なんだと僕は思う。

自分自身の人生なのだ。笑っていようぜ。

10年後、笑って思い出せる転職ならば、それはきっと正解なんだ。

 

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さて、長くなってしまったけれど、ここで一旦この記事にはピリオドを打とうと思う。

就活、転職という切り口で、僕の思うヒントを考えてみたが、いかがだっただろうか。

ぜひ、何かの参考になれば嬉しい。読んでくださって、ありがとう。