人生はオーディションの連続である

書くということ

僕のブログを10代の頃から読んでくださっている方がいます。

千葉にお住いの方で、時々メッセージが届くのですが、今日「来年はお互い、飛躍する年にしましょう」というメールをもらいました。

嬉しかった。ありがとうございます。

僕がちょうど10代の頃、受験生という立場でもありつつ、身体を壊して家にこもっていた時に、ちょうどブログを通して出会ったのですが、

当時その人も自分自身の夢に向けて公務員試験を懸命に勉強していたことを覚えいてます。

それから10年近くが経ちまして、今年、彼も転職が決まり、来年からITのエンジニアとして別のフィールドで活躍するそうです。

不思議な不思議なご縁ですね。

ITエンジニア
エンジニアのお仕事、応援しています!

===

僕のブログをずっと読んでくれている人がいます。

そして時々、メールが届くのです。

時には上に書いた方のように30代で自身の夢に向かって頑張っている方もいらっしゃいますし、たまたま地元が同じ20代後半の方からメールをもらったこともあります。

就活生です!という方もいらっしゃいましたし、その方が社会に出てからも時々メールをくださる方もいます。

この前は、受験生です!前から読んでいます!というメールをもらったこともありました。

そういえばその方は今年で高校2年生と書いていたので、年が明けたらいよいよ受験生大詰めの高校3年生になりますね。

関西圏で有名な進学校に通っていると書かれていたので、まずは正々堂々と、有名大学を目指して夢を叶えて欲しいと思っています。

「どうして大学はいい大学に行くべきなのか」とか「最初の就職は大企業がいいのか」と問われることもありますが、答えは絶対に「いい大学に行くべきだし、由緒正しき大企業に行くべきだ」と僕は思っています。

「鶏口牛後」は人生トータルでの話。人生のターニングポイントでは絶対に牛を選ぶべき瞬間がある

「鶏口牛後」という言葉があります。

正確には「鶏口となるも、牛後となるなかれ」という言葉で、ようは「上限の集団であったとしてもビリでいるならば、下限の集団でもトップでいるべきだ」という意味です。

この言葉は正しいです。ただし、人生トータルで見れば、ということ。

人生トータルで見れば、もちろん自分自身が活躍できるフィールドを選ぶべきだし、その方が幸せな人生を歩めることは間違いない。

けれど、人生にはいくつか押さえておくべきターニングポイントというものがあります。
そして人生においてその数はそれほど多くはなく、限られているという事実を知るべきなのです。

まずは、絶対に「進学」です。
そして、その次は「就職」です。

このポイントは牛後であっても「牛」を選ぶべき、つまりは「目指せるならば、上限の集団を目指すべき」だということ。意味は人生の後になってからわかります。

ひとつ種明かしをすると、人生の押さえるべきポイントで鶏口であった人は、後年になっても必ず、そのコンプレックスを引きずったまま生きているから。

僕が仕事を通して出会った40代以降の方々で、「俺は昔、こんなところから這い上がって今があるんだ!」といっている人たちは皆、コンプレックスの塊だし、結局は人生ずっと無駄な引け目を背負ったまま生きているように見えるのです。

人生はオーディションの連続である

もちろん、だから不幸であるとか、そういうことではありません。

40代以降、幸せに思える人生を歩んでいる人も多いと思う。

けれども、ずっとその引け目を背負い続けることを考えれば、10代、20代のうちは、目指せるならば正々堂々と上を目指せ、と言いたい。

心配せずとも、それを手に入れられない人たちの方が多いのですから、もし、目一杯挑戦をして無理だったら、潔く諦めることができるじゃあないですか。

目一杯挑戦をして、それでも無理だった時には、「俺も本当はやればできた」などと思わないし、その後の人生、自分自身のフィールドで輝けば良いのだと思うのです。

人生は、オーディションの連続です。

いくつになっても、挑戦し続けることができる、そんな人生でありたいですね。

だから僕はこうして、文章を書き続けたいと思っています。

文章を書くことを通して出会った人たちと、いつか会えたらいいなと思っています。